合格のカギは司法試験における基本知識確立の重要性を痛感し、再修得に努めたことです。
H.K さん(28歳)
国公立大学法科大学院(既修)修了
◆出身大学/国公立大学法学部卒業
◆受 講 講 座/入門講座本科生
※プロフィールは、2010年合格時点のものです。
はじめに
自分の恥ずかしい過去は、これをお読みになる方に自分と同じ失敗をしてほしくないので敢えて書きました。苛烈な内容も含み個人を特定されたくないので、氏名などの情報は非公開とさせていただきました。
法律家を目指す契機
志望大学に入学した年の夏に父が急死し、通夜が終わった直後に伯母の配偶者から「祖父が死んだら戦争だ」などと相続の(当時はまだ水面下の)紛争開始を通告され、以降父の姉と妹及び両者の配偶者から嫌がらせに始まり財産の窃盗・横領など、度重なるいわれのない攻撃を受け始めました。この人達に対抗したり身を守ったりするには、自分が法律家になるしかないと考えたからです。
伊藤塾との出会い
翌年の受験指導校選びの参考にと、大学1年の春から司法試験の勉強を開始するクラスメイトについて各司法試験受験指導校の無料講義を聴きに行きました。法律知識が全くない状態で各受験指導校の講義を聴いた中、最もわかりやすく眠くならなかったのが伊藤塾長の講義でした。何ら知識のない者でもわかりやすい説明であれば聴き続けられると考え、翌年大学2年の春から14期本科生として伊藤塾に入塾しました。
私がとった勉強方法
基礎的な法知識・法理論の修得について
私は、基本知識の修得に基礎マスターの講義を最も活用しました。恥ずかしい話ですが、勉強当初は伊藤塾長の講義のわかりやすさからわかった気になり慢心してしまったのと、サークル活動の方を重視した自身の司法試験の見込みの甘さとあいまって復習を怠っていました。
当たり前ですが、基本知識(基礎マスターで指示されるA~B+ランク相当の知識)が確立されていないと、土台をきちんと組まず家を建てる不毛な事態に陥ります。実は、私には旧司法試験の択一合格経験がありません。大学を留年して勉強期間は長くなっても択一模試の成績も伸び悩みました。当然です。基礎マスターの復習を怠り核となる基本知識がない。だから論文マスターにもついていけず「書けるまで正確に理解しておくべき知識」が不足していて、同時に「書けるまで正確に理解しておくべき知識」があれば点数が安定するはずの択一で低空飛行が続いたのです。1留目は旧司法試験の論文試験より遥かにやさしい法科大学院入試ですら情けない結果に終わりました。
遅くはなったものの、司法試験における基本知識確立の重要性を痛感し、基本知識が不十分な現状と向き合い、勉強期間の割に理解の程度が浅い自分を認めたくない些細なプライドも捨て、基礎知識の再修得に戻りました。大学の授業に出席して事足りた科目もありますが、教授の説明がわかりにくいとか授業が提供されていない場合は、再受講割引の存在と講義のわかりやすさから、基礎マスターを必要な科目のみ再受講しました。
受験期間が長い受験生は、最初の基礎マスターで復習を十分にせず基本知識の確立が遅れた方が多く、逆に多くの短期合格者は基礎マスターの復習を徹底してやっていた、という印象があります。
法科大学院では基本知識があることを前提に授業が進むので、入学前に基本を強化しておいてよかったです。
短答式試験対策について
私自身短答式が最後まで苦手で、合格した今年の点数も悪かったです。せいぜい過去問の各記述を理由をつけて正誤判断できるようにし、六法に常に戻り条文を意識したこと、わからないことは基本書や基礎マスターのテキストに戻って確認した程度のことしかしていません。
配点比率は以前より低いですが、やはり短答式が(できれば合格者)平均点くらい取れると受験時に無駄な不安もなくなりますので、論文の勉強とのバランス(といっても条文やその趣旨といった基本知識では両者を明確に分ける必要はありませんが)を失しないように、残された時間で1点でも多く取れるよう努力・工夫をされるとよいでしょう。
論文式試験対策について
短答式で点数が取れない私とは無関係ですが、配点比率から、短答式が290点取れても論文で不合格になる受験生を去年も今年も何人も見ています。短答式で逃げ切る発想は危険すぎます。必ず論文式でそれなりの点数を取れるようにしておくべきでしょう。
くどいですが、基本知識がまず何より重要です。再現答案などを見ると、最低限の知識は2500番位の不合格者でも当然書けています。基礎マスターのA~B+ランクの知識自体書けないと勝負の土俵にすら乗れません。
私が一度不合格になった原因は、(知識の問題は初回受験時でもクリアしていたのですが)過去問を時間内に書ききる練習や過去問の分析を怠ったからでした。そこで今年は敗因を潰すべく週1で過去問を時間内に書き切るゼミを組み、ペースメーカーにもしながら勉強しました。徹底的に過去問を研究するゼミで過去問以外に手を広げられなかったのですが、過去問を深く検討することができたのが結果的によかったのかもしれません。
ゼミですが、自分の文字や文章は自分だと読めてしまうので、自分ではわからない表現のクセなどを第三者の目で指摘してもらうためにも組むべきでしょう。ただし、目的をはきちがえている人(ゼミを組むこと自体が目的だったり、ゼミで活躍して虚栄心を満たそうとするだけの目的)や、ゼミ中に指摘をすると自己否定されたと感じて凹んでしまう人、自分のことしか考えず相互に利益を与えて共に合格しようという発想ができない人、などとは害になるだけですからゼミを組むべきではありません。合格していく人が指摘されたことを合格への道標と捉えて喜々として修正しようとするのに対し、指摘されて凹んでしまう人は合格する気持ちが弱いからであり、ゼミの雰囲気も悪くなります。
特にゼミが組めない環境にいたり、組むべき相手が見つからない方は、第三者の目で指摘してもらう機会を何とか確保するべきでしょう。
受験指導校の答練や直前模試は、金銭的困窮や、ゼミでの過去問検討以外の問題を解く時間的余裕がなかったこと、問題の質などの観点から、一切利用しませんでした。私は前の回のゼミで判明した自分なりの課題を次回までに修正するよう勉強していましたが、答練を利用するなら自分なりの課題(文字の大きさ・きれいさ、時間内に書ききる時間感覚、事実を十分あてはめで使えているかなど)を克服するための機会として用いるのがよく、ただ漫然と書きに行くだけでは金と時間の無駄です。
受験指導校の答練や模試での成績上位者でもよく落ちる、と耳にしますが、同質の問題は作れない受験指導校の限界はあるので、受験指導校作成の問題や採点基準(どうしてもズレがあるのでしょう)にカンを合わせる方がおかしいです。新司法試験に合格したいのであれば、まず過去問という新司法試験の問題を軸に据え、それをできるようにする過程で必要な能力を涵養する際に受験指導校を利用するのがいいのではないでしょうか。少なくとも自分の頭で考えず受験指導校のせいにしているうちは合格できないと思います。
直前期の対策について
復習中心、基本中心で、論文は週1程度で実際に書いて記述のカンも最低限維持しましたが、特別なことはしていません。
ただし直前期は迫りくる試験のストレスと今まで頑張ってきた疲労が溜まって体調不良を起こしやすいので、体調の維持管理に細心の注意を払うのがよいと思います。私も体重が大幅に減り口内炎が30個近く常時できるなど相当辛い体調になりました。成績はそれなりにいいのに、直前期の体調悪化で勉強ができず、受け控えせざるをえなかった人が意外といたことには驚きました。経験上直前期の体調悪化とその程度が予想できる方は、早めに病院に行き薬をもらっておくなり(頼れる薬があるというだけで心理的に楽になります)、ストレスや疲労を普段から入念に解消させておくなりしておくとよいと思います。
伊藤塾の受講スタイルとフォロー制度
本科生時代は通学でしたが、基礎マスター再受講はインターネット受講でした。インターネット講義はわからないところは何度も聴けるし、倍速再生で一気に復習もできるうえ、一通り知識がついている段階であれば自分のペースでどんどん聴ける点がよかったです。再受講中は、漫然と聴かずたとえば伊藤塾長と一緒に講義をしながら復習など、受け身になりがちな講義でわかったつもりにならないような工夫はしました。
通学はペースメーカーにしやすいですが、いくらわかりやすい講義でも一度で全て理解できる方はまれでしょうから、講義を復習できるよう録音しておくとよいと思います。もちろん講義を録音して安心してしまい講義を聴かなくなってしまうのはダメですが…。
学習スケジュールの管理について
まずは過去問を軸に現在の自分と要求されている水準の差を把握し、それを残り時間を考えながら数ヶ月、1ヶ月、1週間、1日の順で目標を細分化・具体化していました。
最後に
司法試験は皆それなりに頭のいい人ばかりが相応に準備をして受験しますので、私程度の知性しかない凡人は相当に努力しないと(普通の努力では皆努力しているので相対的に差がつかず)合格できません。また、司法試験は合格する気持ちの強い人から合格します。いつか合格できるだろうと思っている人は永遠に合格できないでしょう(かつての自分も、そして周りの不合格者にも、残念ながらこのような考え方の人が多いのです)。合格することを「覚悟」し、いかなる努力も惜しまないでください。合格が近付けば近付くほど苦しくなりますが、合格すれば全て吹き飛びます。
最後になりますが、4月半ばにストレスで体調が猛烈に悪化し、今年の受験が危ぶまれた状況で、根性と執念で何とか無事に受験しきれ合格までできたのは、もうだめだと何度も思った自分を支えてくれた家族・友達・恩師の先生方がいたからこそです。本当に感謝しています。
(2010年11月・記)