人として「どうありたいか」を念頭に置きながら伊藤塾で学習。部活で忙しかったが、時間は限られてこそ意味がある
北村 徳都さん
◆学部成績/[GPA]:(3.17)A(優):B(良):C(可)=28:77:14
◆受講講座/司法試験入門講座本科生+リーガルトレーニング
◆合格校/神戸大学法科大学院(既修)
はじめに
法律家を目指したきっかけは、小学生の頃に見たテレビドラマの主人公がかっこよかったからという、ただそれだけの理由です。法律や法律家との接点は全くなく、裁判傍聴するなど自ら関わることもしなかったので、ただ漠然と検察官・弁護士・裁判官はかっこいいなというものでした。このようなきっかけゆえに志望校についても、修了生の司法試験合格率が高くて合格者数の多いところ、できれば自宅から近い方がいいなという考えでした。だからなのか、勉強するモチベーションも漠然としており、1年生が終わる頃になって、この先どうすればよいのか、自分はダメだという不安と劣等感に襲われました。そのようななかで偶然伊藤塾の案内パンフレットを見て、頑張ってみたいと思えたので2年生の春休みから伊藤塾在宅校生として受講しました。
基礎的な法知識・法理論の修得について
大学の授業は知識のインプットが中心で、いざ試験となると何をどう書いてよいのかわからなかったり、枝葉末節に気を取られて肝心の核となる部分の理解がなかったりしました。その点、伊藤塾では項目ごとにランクづけされていて知識の整理に役立ち、特に論文マスターでは答案の書き方、解答に辿り着く考え方という、知識の活かし方の面で大いに役立ちました。伊藤塾での勉強方法は、在宅生で毎日3時間分講義を順番に聴くことにしました。部活動と大学の授業の方を優先したので8割程度の徹底でしたが、生活のメリハリを意識したり再生スピードを適宜少し上げたりするなどしていました。伊藤塾の講義の予習・復習に関しては各講義の指示に従い、伊藤塾教材と大学の教科書のほかに教材や問題集は使いませんでした。その時間的余裕はなかったこと、大学と伊藤塾をできる限り有効活用したかったことがその理由です。部活の忙しさは自分で忙しくしていたので言い訳にもならないですが、時間がなくてもやり方次第では何とかなると思います。勉強時間の少なさだけで全てを諦めてほしくないです。時間は限られてこそ意味があると思います。
法科大学院対策について
〈京都大学法科大学院〉
京都大学法科大学院については、学部成績が総合評価の大半を占めるので、学部の定期試験が重要です。周りの受験生のレベルも高く、論述試験での挽回は困難でした。過去問に解答はなく、また一行問題も多いので、一緒に答案を見せ合う仲間や答案を見てくれる人がいないと、しんどいです。だから僕は問題研究と論文ナビゲートテキストを繰り返し見ることを主に対策としました。
〈神戸大学法科大学院〉
神戸大学法科大学院については、論述試験の結果が総合評価の大半を占めるので、過去問を解くことを重視しました。法科大学院のホームページには過去問に加え、各年度の採点基準や出題の意図なども記載されていたので、それを参考に過去問を解きました。過去問は論述問題全てフルスケールで解答を作成するのではなく、本番を想定し短時間でより正確に解答の骨子が作れるかを重視しました。本番の試験時間が短めだからです。論述問題においては論述パターンがあると便利で、メンタル面でも有利だと共通して思いました。僕にとって論文マスターの講義はすごく力になり、問題研究や論文ナビゲートテキストを何度も見返していたことがよかったと思います。また、一緒に勉強する友達がいることはとても大きいです。僕は伊藤塾在宅生で、大学の法律系サークルにも所属せず、他の人と一緒に勉強する機会がなく、自分がこのままでよいのか悪いのかわからず、迷走し苦労しました。だから伊藤塾の答練の添削が、自分の解答が自分以外の他者に触れるよい機会になったので、もし僕と同じような境遇にあるならぜひやるべきです。
おわりに
僕は入試を通して、本当に助けを必要とする者の味方に立ち、人を笑顔にすることができる人になりたいと思いました。これからはその力を身につけていきたいと思います。「試験は自分との闘い」とよく言われますが、毎日全力というような予定ではすぐにダメになって、7 ~ 8割の力で長期間継続する方がより遠くまで到達できる気がします。だからできることしかできないと割り切って自分のできることをするだけだと思います。また、「どうなりたいか」だけを見続けると結果主義に陥り、達成できないとわかった瞬間に立ち直れなくなるので、人として「どうありたいか」の目標があると結果がどうであれ後悔しないと思います。その方が、その先の未来に、法律家を目指し頑張ったことが活きると思います。何年か前に合格体験記を読んだ時の僕と同じように、どうしようもない不安や劣等感に苛まれている人の安心や自信、勇気に少しでも役立てられれば本望です。