第27号 難民保護のしわ寄せ?

山本哲史 東京大学 東京大学寄付講座「難民移民(法学館)」事務局長 大学院総合文化研究科 特任准教授

残念ながら、嫌なことは他人におしつける、というのはどこの世界にもよくあることでしょう。
昨年、社会現象と言えるほど話題になったテレビドラマ「半沢直樹」に、「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」というセリフがありました。
思い当たるふしがあったため、視聴者の共感を呼び話題になったのだと思います。  ところで、難民保護の場面においても、面倒なことは誰かに任せておいて保護をしたという評価だけ得ようとする動きも、ないとは言いきれないのが現状です。
保護をしているという体裁だけは整っているが、その実態は保護からはほど遠い、ということがあるわけです。
要するに、建前や手続が国際法上の法的義務に従う形で整えられはしているものの、その大変な部分については誰かに任せておいて、「あとはよろしく」という具合です。
イタリアにランペドゥーザ(Lampedusa)という名の島があり、この島はまさに難民保護の負担の「しわ寄せ」の最前線として、専門家の間では知られています。
この地中海に浮かぶ島は、北アフリカからやって来た庇護希望者たちで溢れかえっています。島には難民収容センターが設けられていますが、定員を遥かにオー バーしていることもあり、待遇は直感的にも良いとは言えず、また加えて、人権侵害にも相当する扱いがなされていると各所で指摘されています。
ヨーロッパ諸国は、ここに庇護希望者たちを閉じ込めているわけです。
この庇護希望者というのは、難民として保護を求めてはいるが難民であることが確定していない人々を指し、英語ではアサイラム・シーカー(asylum seekers)と呼ばれます。
法的に重要なことは、庇護を「求める権利」(right to seek asylum)は人権として全ての個人に保障されなければならないことが、国際法上認められているという点です。
つまり、庇護を求めて、少なくとも審査を受けるべく、人は自国を含めたいかなる国をも離れる権利を含めて(世界人権宣言14条ほか)、各国が庇護に関して用意している制度に「アクセス」する権利を有している、というのが建前です。
人権保障の観点からの議論ですから、この「アクセス」は形式的なものであってよいわけはなく、実質的に「アクセス」と呼ぶに相応しいかどうかが問題になるわけです。
 
 そもそも、庇護希望者をなぜ島に閉じ込める必要があるのでしょうか?
それは、上記の「アクセス」の中に、庇護申請を審査される間、不要な収容を受けないことや、適正な内容の審査を受けるための手続保障などが含まれるため、要するに目立つところで扱ったのでは不法入国者を国が思いどおりに取り締まりにくくなる、という現実があるからです。
これはどの国も同じで、日本にも当てはまります(まだ日本にはどこかの島を使って不法入国者の収容や庇護希望者の審査をという話は出ていないようですが)。
入国管理は国家主権に基づく国家の権利である一方、庇護への「アクセス」は人権ですから、その両者のせめぎ合い、という ところでしょうか。
面倒なことは最初からしたくない、というわけで、この問題自体をどこかに遠ざけてしまいたいというのが、島で収容と審査をという発想の根源にあると思います。
庇護希望者の人権は保障しているぞ、とおいしいところだけは確保しておいて、面倒な仕事は目立たないところで地味な人に任せる(この場合はイタリアの島)、という実によくありそうなパターンです。
この場合、恰好をつけているのは、欧州連合(EU)の「共通の庇護制度(the Common European Asylum System, CEAS)」という、一見すばらしい先進の制度を用意しているヨーロッパ諸国です。
しわ寄せを食っているのは、ランペドゥーザ島のあるイタリア政府であり、その結果酷い扱いを受けている(とされる)庇護希望者たち、ということになります。
 
 こうしたしわ寄せは、元々その能力が十分でないところに難しい仕事を任せようとするものですから、激しい歪みを生じさせ、ついに問題が露見した際にはとても恰好が悪いことになりがちです。
ランペドゥーザ島のケースでは、島を目指すボートピープルの海難事故による死者が年間数千人を超え、隠そうにも隠せない事態となり、ついにはイタリア海軍 が海難防止や救助のために軍艦を動かして庇護希望者を沿岸国に上陸させるということで、なんとか取り繕うことになりました。
それでも救助された庇護希望者の行き先はと言えば、やはりランペドゥーザ島になるようです。
 
 さて、ランペドゥーザ島では一体何が行われているのでしょうか。
あるイタリア人新聞記者が、庇護希望者に変装して潜入調査をしたそうです。
多くの「実態調査」なるものは調査される側が身構えた状態で行われることも少なくなく、それでは実態が見えないということで、潜入調査という手段をとったようです。
実行したファブリチオ・ガッティ(Fabrizio Gatti)というフリーの記者は、不法入国者に扮していたため、1週間の収容を受けました。
その間、同じ被収容者たちが暴力や各種のハラスメントを受け、また、衛生面や手続保障に関する様々な問題があったことをレスプレッソ誌 (L’Espresso)上で明らかにしたところ、逆にイタリア当局から事実無根として名誉毀損の疑いで捜査対象にされるということになったそうです。
真相は定かではありませんが、人目の行き届かないところでは、何があっても不思議ではないということは言えるでしょう。
イタリアン・ジョークと捉えておくのがよいのか、ガッティは昨年(2013年)末に「来年のノーベル平和賞はランペドゥーザ島に贈られるべき」と発言しています。
この問題は現在もまだ続いているようです。 ランペドゥーザそのものではありませんが、
 
 このような状況(庇護希望者の収容やそこでの扱いの内容)について、EUは司法判断を下すようになっています。
ヨーロッパ人権条約(人権及び基本的自由の保護のための条約)では「何人も、拷問又は非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」こ とを規定しており(第3条)、昨年、ある庇護希望者(ギリシャで収容されたスーダン人)について、ヨーロッパ人権裁判所は7名の裁判官の全会一致の意見と して、ギリシャの違反を認めています(Horshill v. Greece, application no.70427/11)。司法はこの歪んだ状況の軌道修正のために、積極的な役割を果たすことができるでしょうか。
最後は政府や行政を含めた社会全体が動く必要があるでしょうが、いずれにしても、今後の展開に注目が集まっています。


 
伊藤塾塾便り225号/HUMAN SECURITYニュース(第27号 2014年5月発行)より掲載