第38号 人間の安全保障と国際協力

山本 哲史 神奈川大学法学研究所客員研究員 東京大学寄附講座「難民移民(法学館)」前事務局長

皆様は政府開発援助(Official Development Assistance, ODA) について、詳細はともかく、概略についてはご存知のことと思います。その ODA に最近動きがありました。将来ご活躍の分野のご参考に、あるいは何らかの話題として頂ければと思います。 ■ ODA の歴史的背景
日本の ODA は、実質的には戦後賠償の代用としてスタートしたことはよく知られているところです。
世界というスケールでの、植民地とその宗主国、つまり支配する側とされる側の争いに関わりがあることを、ODA を考える時には無視すべきではないと思います。
帝国主義は、現代国際法が侵略戦争を違法としたことに端的に現れているように、もはや露骨な形では存在しません。
ただし本質的には、むしろ強化された形で存在します。
マイノリティがマジョリティとの関係でどう主張を維持できるか、というような問題。あるいは格差の問題。
こうした問題に、ODAは当然ながら意識を向けてきました。
格差を是正し弱者を如何に救済できるか。
そして公正な市場や経済の普及にとどまらず、形式的には政治的関与は避けながらも、実質的には援助対象国の政治や社会のあり方にも関わる「国づくり」支援の役割を ODA は担ってきたのです。
こうしたこともあり、日本の ODA には一貫した方針というものが求められるようになり、それは「ODA 大綱」として 1992 年に閣議決定として公にされて以来、2003 年の改訂を経て、去る 2015 年 2 月に「開発協力大綱」として生まれ変わったのです。
何に注目するかでその特徴の説明もいろいろありうるのですが、やはり一つ大きなポイントとして、今回もまた「人間の安全保障」の重視が語られている点が挙げられます。
■「人間の安全保障」は誰のためのものか
「人間の安全保障」(Human Security)については、この塾便りの中でも何度か説明がなされてきましたが、正直言って分かりにくい、と考えられています。
まず「人間」という「一人一人という個人」(individuals)を想定した対象と、「安全保障」(security)という国家(人々の集団)を想 定した行動を接続した造語であるので、矛盾というか違和感というか、そういう意味での分かりにくさが感じられているものと思います。
極論ですが、戦争が起きれば兵士は死にますが、その場合の兵士も「人間の安全保障」の対象であるべきであって、であるならば、国家の安全保障のために人が死ぬということ自体、「人間の安全保障」の矛盾そのものではないか、と考える方もいらっしゃることでしょう。
まったくその通りだと思います。
そこで日本の主張する「人間の安全保障」の場合は、カギ括弧「 」でくくられているのです。
これは一般的な用語とは少し違う、特別な意味で使われている言葉ですよ、ということが強調されているわけです。
日本政府が ODA 大綱や今回の開発協力大綱で触れている「人間の安全保障」とは、一人一人の人間の命を守り(恐怖からの自由 freedom from fear)、それだけでなくその人間の人間らしさを保持するためにも一定程度の充実した人生を確保するために取り組む(欠乏からの自由 freedom from want)という意味で、「個人の尊厳に近い発想の概念なのです。
したがって、たとえば難民に「人間の安全保障」は確保されねばならないのですが、しかし誰にでも関わりのある概念であることはお分かり頂けると思います。
■ ODA における「個人の尊厳」の実現
その意味では、分かりやすさだけでなく親しみやすさも追求するならば、「人間の安全保障」とは、日本国憲法 13 条と 24 条 2 項に触れられている「個人の尊厳」を、文字通り世界において実現しようとする取り組みなのです。
日本のように法の支配に立脚し、法治国家として確立した国(もちろん完全ではないとしても)とは異なり、様々な形の構造的な問題を抱える国は少なくありません。
そして多くの場合、それは社会や経済の問題として立ち現れ、そうした国の人々には貧しく将来も閉ざされたような生活を強いている場合がある。
そうした問題を解決できるような国際協力のためにお金を使う。
その理念が凝縮されているのが開発協力大綱であり、個別の開発援助プロジェクトであるべきものです。
いわゆる法整備支援も、この ODA の枠組で実施されてきていることは皆さんもよくご存知と思います。
ベトナムなどインドシナ三国に始まり、東南アジアを中心に中央アジアにまで支援対象国は拡大しています。
私も、この法整備支援に関わることになりました。
8月からモンゴル国立大学法学部で日本法の授業をするために長期赴任することになっています。
「人間の安全保障」がどう実現されようとしているのか、折に触れお届けできればと考えています。


 
伊藤塾塾便り238号/HUMAN SECURITYニュース(第38号 2015年6月発行)より掲載