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第2号 安全保障化と「人間の安全保障」Securitization and “Human Security”

山本 哲史(東京大学特任准教授)

一般的に人は安全を求めるものと考えられています。
これが具体的な話になると、誰がどのようにどんな種類の安全を保障するのか、ということになります。一時よく言われた「自己責任」という考え方は、「自分 の安全は自分で守れ」というようなことでしょうし、ある政党は「安全と安心」とマニフェストにも書いていたわけで、それこそ安全の確保にはいろいろな考え 方や方法があり、問題はそれを社会制度として進める場合には誰のお金と労力や犠牲を用いてどう実現するのか、ということになってくると思います。
伝統的に安全保障(security)というのは主権国家が他国から自分の領土と国民を守 るという構図の中で語られてきましたが、脅威は他国のみではなく実に様々である、という各人の意識が社会通念へと展開する流れの中から、昨日までは「それ は安全保障の課題ではない」とされた問題が、今日は「それも安全保障に含めるべき」となってゆきます。
この流れは「安全保障化(securitization)」と呼ばれていて、例えば環境破壊や人権侵害でさえ、考えようによっては安全保障の問題へと転化しうるわけです。
「安全保障化」はヴェーバー(Ole Waever)やブザン(Barry Buzan)など、いわゆるコペンハーゲン学派によって提示された概念で、たとえば社会保障(social security)と音が似ていますが全く異なる「社会の安全保障(societal security)」という考え方も安全保障化の中から生まれており、これは民族や伝統文化、自らの使用言語などの維持についても安全保障の課題として捉 えようとするものです。
「開かれた社会」に反対の立場からは、移民を受け入れる国にしてみれば移民が増えることは政治や治安への影響が懸念され、ひいては自分たちの安全が脅かさ れかねない、ということになるのかもしれませんし、逆に移民側にとってみれば、見知らぬ土地で自らのアイデンティティや生活を守ることができるか、という 問題が出てくるわけで、これを安全保障の裾野の中にいれてしまおう、というわけです。
近年の例で言うと、サルコジ政権下のフランスは、移民にフランス文化を受け入れさせようとして逆に大きな反発や社会不安を招いた、というようなこともありました。

国際社会においても安全保障化の議論は進んでいます。
2000年の国連ミレニアム・サミットにおける日本政府の提案によって設立された「人間の安全保障委員会」は、厚生経済学者のアマルティア・セン教授と国 連難民高等弁務官を10 年務めた緒方貞子氏を共同議長とし、2003年に「Human Security Now」という報告書を採択しています。
邦訳出版もされていますので読んでみてください。
この「人間の安全保障」という考え方は「欠乏からの自由(freedom from want)」と「恐怖からの自由(freedom from fear)」という二つの自由の確保を目指す方向へと、現在もなお進化を続けています。
これには日本国憲法も実は対応している(とりわけ9条、13条および25条など)と言われています。

しかし結局のところ「人間の安全保障」という考え方は曖昧でよく分からない、人権保障とは何が違うのか、そもそも必要な考え方なのか、と疑問に思う人もいると思います。
実際、研究者を名乗る人でさえこうした疑問から論文を書いていたりします。
上記をまとめながら一応その疑問に答えるとすれば、「人間の安全保障」とは、人々の安全のためには時代の変化に応じた多様な要素が必要とされることが共通 認識になりつつあり、その実現のためには国家による法や政治のみでも不十分な場合があり、市民社会や企業など様々な主体が社会における責任を意識しながら 柔軟にアプローチを工夫し、結果的に「一人一人の生命と尊厳」を守ろうとする安全保障化の一端、ということになるでしょう。

ところで、かのマイケル・ムーアも、「人間の安全保障」の要素の一つとも考えうる医療制度について、2007 年の映画Sicko においてとりあげ、当時大きな反響を呼びました。
彼の作品の特徴とも言える率直さとある種のおかしみを織り交ぜた表現のなかから、アメリカの医療制度の様々な問題があぶり出されてゆきます。
レンタルDVD にもなっていますので見てみてください。
この映画は、先進諸国の中でアメリカにだけ公的医療保険制度がなく、医療保険は民間保険会社に委ねられ、その利潤追求のゆえに悲惨な事例が数多く報告され ている…というように進むのですが(なお、オバマ政権下で国民皆保険制度の導入が2010年に決定しています)、終始一貫して「なぜアメリカはそうなの か」という疑問を視聴者に投げかけながら、つまりは「考え方一つで変えられるのではないか」ということを問うているように私は思いました。


 
伊藤塾塾便り200号/HUMAN SECURITYニュース(第2号 2012年4月発行)より掲載