第5号 制度としての難民認定 Refugee Status Determination as a System
山本 哲史(東京大学特任准教授)
唐突ですが、皆さんは「あなたが誰なのか、証明してみせよ」と言われたとして、一体どうな さいますか? 中世から封建社会にかけて、日本の武士は「やあやあ我こそは某(なにがし)」と名乗って敵に勝負を挑んだそうですが、それも戦争の合理化とともに廃れてゆ き、果ては影武者を使って敵を攪乱し殺害を免れる、ということも行われるようになったと聞きます。
「私は、私です」という主張、これは当然ながら論理的には何も説明していないわけで、トートロジーとも呼ばれます。
戦争の最中や終了後、名のある武将が討たれると、今度は首実検ということが行われたそうです。
「この顔が某か、なかなか見事な死に様よのう」という具合に。顔(首)でその人が誰か、特定しようとしたのだそうですが、おそらくそこで重要なことは、そ の首が本人のものである、ということ以上に「敵を倒した」というけじめをつけ、内外にそれを示すという形式であったのではないだろうかと、私などは考えま す。
形式、ということで言えば、現在の難民認定もまた、制度としての形式に重点が置かれているように思います。
まず、申請書を書いて地方入国管理局へ提出することから始まり、難民調査官による調査を通じて得られた資料も加えながら、申請者にインタビューを行いつつ、事案概要書を作成する。地方入管はこれを入国管理局へ届け、審査が始まるという段取りになります。
不認定となった場合、7 日以内に異議申立を行い、今度は民間有識者によって構成される難民審査参与員による審査が始まります。 参与員には認定の決定権はありませんが、3 人 1 組で構成されるチーム単位で行われる審査を経た意見(個別意見あり)を決定権者である法務大臣が吟味するという仕組みになっています。
このように、制度はきちんと整い、形式的には十分であるように感じられます。
ただし難民認定申請数の増加に比例して異議申立の件数が年々増加しており、この処理が追いつかずに未決件数が増加する傾向にあることについては、何らかの対処が必要となりましょう。
難民認定申請者の苦境については前回コラムで触れた通りで、この宙ぶらりんの期間を少しでも短くする努力は何らかの形で行われる必要がありそうです。
さて、形式は整っています。これに対し、真の難民(bona fide refugee)を見つけ出すことが、そもそも重要なはずです。
これをどうするか。長年に渡り、日本に限らず世界の難民条約締約国は悩み続けてきました。
この問題は法的な観点からは、大きく分けて 2 つに分類されます。
まず、法解釈の問題。これは、1951 年の「難民の地位に関する条約」1 条A(2)に規定された難民定義を、如何なる内容のものとして解釈するのか、という問題であり、具体的には例えば「迫害」を受ける「十分に理由のある」 「怖れ」を有するとされる「難民」という場合の、「迫害」にはどのような行為が含まれるのか、ということであったり、また、どのような「怖れ」であれば 「十分に理由のある」という状態であると言えるのか、といったものです。
これに対し、法適用のための事実認定の問題があります。一般的な法適用の問題と同様に、当事者は「うそをついているかもしれない」、つまり「何を以て法の前の事実とみなすか」ということになるわけです。
この点、難民認定における事実認定には、それならではの 2 つの問題があります。
難民は、(1)そもそも証拠を整えて逃げていない、(2)訴えている内容が深刻、というものです。
(1)については、例えば偽造パスポートを使い、また、迫害されているという文書証拠など、常識的に考えてあろうはずもありません。
(2)については、訴えている内容に事実認定の内容が左右されるということは論理的にはあり得ないことですが、しかし倫理的には考慮せざるを得ない、という感覚も判断権者には生まれることでしょう。
これら 2 点については、国際社会の通説的立場としては、一般的な方法では立証されない供述内容についても、信憑性が認められる場合には「灰色の利益(benefit of the doubt)」の付与を通じて事実認定をなすべし、という考え方があります。
つまり実態的には、難民認定はこの「信憑性」判断によるところが大きいのです。もちろん信憑性が全てではありません。
事実認定に関する全体像の中で、信憑性判断の役割についても論理的に整理して位置づけることが大前提となります。
そのうえで、信憑性判断のための考慮事項を精査してゆく必要があります。また、その判断には申請者の態度も踏まえることが、ある種の心証形成として行われることになっています。
そうした場合の配慮事項など、問題は複雑かつ専門的になってゆきます。
伊藤塾塾便り203号/HUMAN SECURITYニュース(第5号 2012年7月発行)より掲載