第13号 イタリアにおけるフィリピン移民:経済的な要因 Filipino Migrant Workers in Italy: Economic Factor

三浦 純子(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター学術支援員)

人々は、「人間の安全保障」を守るための手段として「移動」という選択をとることがあります。
貧困から逃れて新しい機会を得るために、また生活を向上させるために、たいていの場合は貧しい地域から豊かな場所へ移動します。
 
 貧困を理由に移動を選択した人々を見てみましょう。
イタリアには多くのフィリピン人が出稼ぎ労働者として暮らしています。
最近ではイタリアより英国に滞在するフィリピン人の数が上回っていますが、かつてはイタリアには欧州で一番多くのフィリピン人が生活していました。
移住先として、欧州内では依然としてイタリアが一番人気です。
なぜフィリピン人はイタリアを移住先として選択するのでしょうか。2つの背景が挙げられます。
1つは、祖国フィリピンでの貧困やイタリアでの社会状況など経済的な要因です。
もう1つは、文化的な要因が考えられます。米国でフィリピン移民等の研究に従事するパレーニャス(Parre?as)によれば、フィリピン人は経済的要因で米国に移住し、文化的な側面に魅力を感じてイタリアに移住するとしています。
フィリピンでは海外への出稼ぎに出る人々が多く、Overseas Filipino Workers(OFWs)と呼ばれています。
世界中にフィリピン人がいない国はないといわれるほどです。
ニュー・ヒーローと呼ばれる彼らの送金がフィリピン経済を支えているという現実があります。
彼らは「家事労働者(DomesticWorkers)」として働くことが多く、移住先はサウジアラビアやアラブ首長国連邦、カタールなど、圧倒的に中東地域が多くなっています。
続いて香港やシンガポール、台湾などの国々が挙がってきます。
そして唯一、移住先の上位 10 カ国の中に入っている欧州の国が、イタリアなのです。
 
 移民を受け入れることになったイタリアはどのような社会的背景を持っていたのでしょうか。
1970 年代まではイタリアは移民輸出国といわれ、欧州やアメリカ大陸などに労働力を供給していました。
そのため、イタリア政府は国内の移民よりも、海外にいる国民に関心を寄せていました。
しかし、英国、フランス、ドイツ等で移民規制が厳しくなると、行き場を失った多くの移民がイタリアへ流入してきました。
こうして、イタリア政府は 1980 年代になって初めて入国移民の法規制を始めたのです。
現在イタリアに留まるフィリピン人の多くは、他の欧州諸国に比べてサウジアラビアでお金を貯めてから来る人、規制が緩い時期に入国しており、初めは違法に、後に滞在許可を得るという形をとって居住しています。
イタリアを最終目的地として、まずハンガリーに入国してオーストリアへ渡り、国境の山脈を越えてイタリアに入国した人など、その背景は様々です。

 こうしたイタリアに暮らすフィリピン人出稼ぎ労働者は、海外へ移住したことについて祖国の「貧困」が原因だと説明しています。
しかし実際には、出稼ぎに出る人々は貧困層ではなく、中流階級が多いのです。
フィリピンは 90%以上という高い識字率を誇るうえ、米国の植民地支配の影響により、国民の多くは英語が堪能です。
数多くの医師や看護師たちはフィリピンを離れ、高収入を得るために海外に出るといいます。しかし現実には高い技術を活かせずに、メイドなどの家事労働者や工場労働者として働いています。
イタリアでも家事労働の需要があり、ほとんどのフィリピン移民は家事労働か工場での仕事に従事しています。
看護師の資格を持っているにもかかわらず、高所得が得られないために、住宅の管理人の仕事をしているという人もいます。
在イタリアのフィリピン人のほとんどは、2 つ 3 つの仕事を掛け持ちして生計を立てています。

 一方、イタリア側も女性の社会進出に伴い、カトリックの教義に沿った「家庭(家族)」を守るためには、こうした家事労働者の存在が必要だったことがいえるでしょう。
こうした労働力の需要と供給が一致した結果、欧州の中でもイタリアに多くのフィリピン移民が集まったといえます。
しかし冒頭で述べたとおり、必ずしも経済的な要素だけが移住の動機になったわけではないようです。
次回は、彼らの移住の動機になったと考えられる文化的な側面を見ていきたいと思います。


 
伊藤塾塾便り211号/HUMAN SECURITYニュース(第13号 2013年3月発行)より掲載