第15号 日本に暮らすミャンマー難民
有馬 みき(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター 特任研究員)
ミャンマーの民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんが本年 4 月に来日しました。
髪に花を挿したその姿をニュースでご覧になった方も多いでしょう。
1989年から3回、計 15 年 2 か月もの間、旧軍事政権により自宅軟禁されていた彼女が、いま海外で自由に会談や講演を行う姿をみると、隔世の感があります。
2011 年に「民政移管」が宣言されて以来、スーチーさんの解放を含む様々な民主化の流れを受けて、国際社会はミャンマーに対する経済制裁を解除し、日本からも企業が続々と進出しています。
しかしその一方で、日本の中にも多くのミャンマー人が暮らしていることはあまり知られていないのではないでしょうか。
在日ミャンマー人の多くは、旧軍事政権による厳しい弾圧を逃れて日本にたどりついた難民です。
2007 年、ミャンマー国軍の治安部隊が反政府デモ隊に発砲した際には、取材中の日本人ジャーナリストが犠牲になり、日本のメディアでも大きく取り上げられました。
これはほんの一例で、旧軍事政権下のミャンマーでは様々な形で人権が蹂躙され、多くの人々が海外に逃れました。
法務省の統計によると、日本が難民認定制度の運用を始めてから 2012 年までの 31 年間で、計 616 人が難民として認定されています。
そのうち 322 人、つまり日本がこれまで認定してきた難民の過半数がミャンマー人なのです。
また、難民認定申請を検討した結果、難民として認定はできないけれども人道的配慮により在留を認めるという制度もあります。
この制度により在留を認められた人にもミャンマー人が圧倒的に多く、2011 年までの 30 年間で 1558 人、これは全体の 78%にあたります。このほか、2010 年に開始した第三国定住プログラムによって受け入れている難民はすべてミャンマーの人々です。
このようなミャンマー難民の人生を追った映画として、土井敏邦監督による「異国に生きる」という作品をご紹介します。
14 年間にわたる取材に基づき、日本に暮らす難民の姿を丹念に描き出したドキュメンタリー映画です。
難民を知るというだけでなく、人としての生き方や日本社会のあり方についても深く考えさせられる内容になっています。
これから日本各地で上映される予定ですので、お近くの方はぜひご覧ください(編者注 右欄に詳細を記載。東京上映は終了)。
東京在住で残念ながら映画を見逃してしまったという方には、新宿区の高田馬場でミャンマーの空気に触れてみることをおすすめします。
駅周辺にはミャンマー料理店をはじめ、食材・雑貨店などミャンマー人の店が約 20 店あり、リトル・ヤンゴンと呼ばれるほどです。映画の主人公が営むレストラン「ルビー」もここにあります。
ミャンマーの民主化が順調に進んでいけば、難民認定制度を通して在留を認められるミャンマー人は減っていくものと思われます
しかし、まだ安心できないという人は多く、難民認定申請の結果を待っている人たちも大勢います。
いまの情勢をふまえると、認定されることは難しいかもしれません。ですが、彼らを制度の濫用者のように扱うべきではありません。
民主化が進んだから一刻も早く帰りたいと考える人もいれば、まだ不安だから日本に滞在しながらもう少し様子を見たいと思う人もいます。
過渡期にある今の状況では当然のことではないでしょうか。
また、民主化歓迎ムードの陰で、まだ様々な問題が残っていることを忘れてはなりません。
現行の憲法は上下両院の議席の 25%をあらかじめ軍人に割り当てており、国家のあらゆる機能に軍の影響力を関与させる根拠となっています。
カチン族、カレン族など少数民族との問題もあります。
特に国籍を認められず、少数民族としてさえも正式に認められないロヒンギャ民族の状況は、国際問題化しています。
本年 3 月にメティラ地区で起きた暴動が示すように、宗教間の対立にも注意が必要です。
難民認定や人道配慮の判断は、引き続き慎重に行っていく必要があるでしょう。
スーチーさんは、東京大学で行った講演(2013 年 4 月 17 日)で、真の民主化支援は人々のための支援でなければならない、と述べていました。
政府のための支援ではなく人々のための支援。なぜなら真の民主主義社会においては、政府は交代するものだから、と。
選挙で圧勝しながら旧軍事政権にその結果を無視された経験をもつ彼女の言葉は、ずっしりと重いものでした。
スーチーさん率いる民主化勢力が 2015 年の総選挙でどこまで躍進できるか、在日ミャンマー難民を含め、世界中が注目しています。
伊藤塾塾便り213号/HUMAN SECURITYニュース(第15号 2013年5月発行)より掲載