第23号 移動する人々と子どもの教育 Education for Migrant Children
三浦純子 東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター(CDR) 学術支援職員
人の移動が容易になった現在、子どもは複雑な教育環境におかれています。
日本においても、親の都合で移動せざるを得なくなった子どもたちは、移動先での学校に適応することもあれば、適応できずに複雑な想いを抱えたまま成長することもあります。
あるいは、途上国からの移民、特に親が正規の滞在資格を持たない場合において、その子どもに与えられる教育の機会は狭められるでしょう。
先進国においても途上国においても、移動にともなって、未来がある子どもの教育を考えることは重要なテーマです。
国境沿いに生きる人々の教育機会はどうなっているのでしょうか。
ミャンマーで迫害を受けた人々や生活に不安を抱えた人々の多くが、難民や不法移民となって、タイに逃れています。
民主化の動きに伴って、若干の減少は見られたものの、9つの難民キャンプにいまだ13万人の人々が暮らしています。
キャンプ内では様々な国際的な支援が施されており、人々が30年間の避難生活を送っているなかで、教育環境は整ってきました。
ミャンマー語、カレン語(避難者が多いミャンマーの少数民族カレンの言語)、英語などの教育も受けることができ、高校までの勉強をすることができるようになっています。
タイの難民キャンプでの教育の質が高いと評判で、ミャンマー国内から子どもだけをキャンプに留学させる親もいるそうです。
キャンプ内には大学こそないものの、大学進学を目指す子どもたちのための教育機関が設置されています。
国境沿いにあるすべての難民キャンプから毎年60名が選抜され、入学します。
筆者は、現地調査に訪れた際、先生や生徒と話をする機会に恵まれました。
高い競争率を突破して入学する学生たちにとって、またそれを支える教師たちにとって、この学校で教育に携わることができることは、一つのステイタスになっているようでした。
将来の夢を聞いてみると、難民キャンプのリーダーになりたい、あるいは支援NGOで働きたい、といった想いを語ってくれました。
キャンプ内の子どもたちは、教育を受けることができる年齢のときには、将来への希望をもって、生き生きとしています。
しかしある時、労働することもできず、タイの国民になることもできない、ましてやミャンマーに帰ることすらできないという現実に触れて、その後の未来がないことに気がつきます。
唯一の希望は米国やカナダなど第三国への再定住制度を利用してキャンプを抜け出すことですが、しかしその機会も一部の人にしか与えられていません。
ミャンマーからの難民や移民のためにメータオ・クリニックという診療所を運営しているシンシア・マウン女医は、自身も難民としてタイへ逃れてきた一人です。
彼女は難民の状況をこう説明します。「難民キャンプに入ることができる人は援助も受けられるが、入ることができない人々の状況が深刻である。」
経営が圧迫されるなか、シンシア医師はほぼ無料で診療するという姿勢を変えません。
医療費が高いから、という理由で、病気がかなり進行してから診療所に駆け込む人が多いのを憂慮してのことです。
キャンプの外にいる子どもの教育に対処するため、移民のための学校が数多く設立されています。
メーソット(タイ北部、ミャンマーとの国境に接する町)にあるsky blue schoolもその一つです。
メーソットのゴミの山でプラスチックなどを集めて生活をしているミャンマーの移民がいます。
強烈な臭いがするその横にテントを張って暮らす彼らは、滞在許可を持っておらず、常に不安と隣り合わせです。
こうしたゴミの山の隣に、sky blue schoolは設置されているのです。
また、ストリートチルドレンとなった子どもたちにも教育の機会を与えたいと、校長がギターと歌の魅力で生徒を呼び寄せているAgapeという孤児院が活動しています。
こうした移民学校に通う子どもたちの親は、多くの場合、正規滞在ではないため、いつ逮捕されるか分からないという不安定な状態にあります。
学校から家に帰ったら両親がいなくなっているかもしれない、という不安のなかで、子どもたちは将来を思い描いて勉学に励んでいるのです。
将来の可能性をもつ優秀な子どもたちが、十分な教育機会を与えられないでいます。
せめてキャンプの外の人々にも再定住するチャンスが与えられることはないのでしょうか。未来の世界をつくる子どもたちの教育は、何より重要な課題です。
伊藤塾塾便り221号/HUMAN SECURITYニュース(第23号 2014年1月発行)より掲載