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第41号 レジリエンスと人間の安全保障

山本哲史 名古屋大学大学院法学研究科特任講師 東京大学寄附講座「難民移民(法学館)」前事務局長

■レジリエンスとは
今回は「レジリエンス(resilience)」について考えてみたいと思います。
レジリエンス(強靱性)とは、本来は物性を表す用語であり、力に応じた変形を通じて曲げや引っ張りなどのエネルギーを吸収し、再びそれを解放する性質のことです。
バネをイメージしてみてください。この用法から転じて、心理学などにおいては、精神的な回復力や復元力を表す用語となっています。
例えば深刻な外傷的ストレスを経験した人すべてがPTSDになるわけではなく、その一部の人がPTSDを発症することが分かっており、その際に、PTSDを発症させない要素がレジリエンスとされているそうです。
したがって、レジリエンスは脆弱性(vulnerability) の 対 義 語 と し て も 理 解されています。
レジリエンスがあれば、ある意味では「人間の安全保障」がなくとも大丈夫なのかもしれません。
一人一人が有する強さ、たくましさ、耐久力、忍耐力、そのようなものがレリジエンスなのだと思います。 ■モンゴルでの体験
私は今、ウランバートルで、モンゴル国立大学法学部の大学生に日本の法律を講義するという仕事をしています。
向う2年間の予定で、まだ滞在 1 ヶ月ほどしか経っていませんが、もしかすると、豊かさとレジリエンスはトレードオフの関係にあるのかもしれない、ということを感じることがあるのです。
一般論ですが、人は誰かに守ってもらわずとも、強くたくましく生きられる。逆に過保護に慣れれば、レジリエンスは失われてしまう。
郵便を例に考えてみたいと思います。日本では当たり前のことですが、ここモンゴルでは、そしておそらく多くの国でも、各戸に郵便物が配達されることはありません。
私書箱を登録して受け取りに行くわけです。
よく考えてみると、住所を書いて投函するだけで日本中どこへでも配達してくれる、郵便や宅配便というのは、便利であるという以上に、恐ろしくサービス精神に溢れるシステムだったのだなと感じます。
日本を離れる直前、たまたま、法務省の関係の仕事で作成した文書を「ゆうパック」で届けようとしたときのことでした。
内容として「意見書」と書いて郵送をお願いすると、窓口の方がわざと小さめの声で、「ここ『 書類 』に訂正してください 」との こと。
管轄が違うのだそうです。
ゆうパックは宅配便に相当し、それは意見書のように相手に考えを伝える書類、つまり信書を配達する許可を得ていないサービスなのだそうです(郵便法及び信書便法)。
驚きました。日本はこんなに社会の隅から隅まで、毛細血管のように法が張り巡らされている。
■野生のレジリエンスの代わりに
昨今、法曹教育には「法曹になれなかった時のことを考える」という部分が欠かせなくなっている、と聞きます。
ですが何も心配することはないように私は思います。
日本で皆さんは高度に発達した法のAからZまでを日常の中で体験しているわけですから、その体験の一つ一つを世界最高水準の制度であることの確認をしながら学んでゆくこと、それが法曹を目指して教育を受けるということなのだと思うのです。
私たちには砂漠に放り出されても生き延びるレジリエンスはもうないのかもしれません。
しかし社会に生きる人間として、法を知り、制度を知り、失った野生のレジリエンスを現代の高度で複雑な社会制度の知恵へと変換して生きているのです。
法曹を目指す中で学ぶことは、そのようなことなのだと私は思います。
夢破れることがあっても、現代を強く生きるための知恵は必ず身に付いているはずです。


 
伊藤塾塾便り241号/HUMAN SECURITYニュース(第41号 2015年9月発行)より掲載