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2019年 伊藤塾 沖縄スタディツアーのご案内
2019年の沖縄スタディツアーの受付は締め切りました
たくさんのお申込みありがとうございました

2019年伊藤塾 沖縄スタディツアー
 
2018年度の沖縄スタディツアーの様子

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ツアー概要

■旅行期間:2019/12/7(土)~12/9(月)(2泊3日)
※現地集合(那覇空港)コースあり(詳細はお問い合わせください)

■旅行代金(2泊3日/お一人様あたり): 71,000円

 
航空会社:ANA/全日空利用
 

▼ こちらから過去の沖縄スタディツアーの実施報告をご覧になれます
2015年沖縄スタディツアー
2017年沖縄スタディツアー

訪問先予定

 
世界遺産 座喜味城跡
 
平和の礎
 
ヌチドゥタカラの家
 
懇親会(琉球舞踊)
など
※写真はイメージです

12/ 7(土)

時間 交通機関 行程 食事
午 前 航 空 機

【羽田発】羽田空港(7:40頃発) → 那覇空港(10:30頃着)
【大阪発】伊丹空港(8:15頃発) → 那覇空港(10:35頃着)
【名古屋発】中部国際空港(8:40頃発) → 那覇空港(11:10頃着)

朝 ×
午 後 専用バス ・座喜味城址見学・昼食(弁当)/チビチリガマ見学
・読谷村平和ガイド 小橋川 清弘様の講演
・読谷村役場周辺見学
・むら咲村内武家屋敷謝名亭での懇親会(琉球舞踊もあります) 
・宿泊ホテル:読谷村内ホテル むら咲むら

昼 〇
(弁当)

夜 〇



12/ 8(日)

時間 交通機関 行程 食事


フェリー

専用バス

・ フェリーで沖縄戦激戦地だった伊江島を訪問
・ ヌチドゥタカラの家館長 謝花 悦子様の講演
・ ヌチドゥタカラの家 資料館見学
・ 伊江島の戦跡および風光明媚な景勝地も見学 (被爆慰霊碑・団結道場・湧出・城山)
・ 宿泊ホテル:かりゆしアーバンリゾート・ナハ
[オプショナル] 国際通りにて交流懇親会
朝 〇
(ホテル)

昼 〇
(レストラン)

夜 ×
(交流会参加者は〇)

※午前・午後の行程は変更となる可能性があります。



12/ 9 (月)

時間 交通機関 行程  食事
   

Aコース

Bコース 先着15名
<定員締切>
 
午 前

【Aコース】

専用バス

【Bコース】

フェリー・徒歩

不屈館(瀬長亀次郎記念館)

見学沖縄平和祈念堂にて、
大嶺 初子様の講演

琉球の歴史を学ぶ

久高島コース

※Bコースは歩いての見学です。歩きやすい服装と傘・カッパをご持参ください。

 
朝 〇
(ホテル)
午 後

【Aコース】

徒歩・専用バス

【Bコース】

フェリー・専用バス

平和祈念公園
・徒歩にて 平和の礎、摩文仁の丘を見学
ひめゆりの塔参拝、資料館見学

昼 〇
(レストラン)

夜 ×

航 空 機 【東京行】那覇空港(18:15頃発) → 羽田空港(20:35頃着)
【大阪行】那覇空港(17:35頃発) → 関西国際空港(19:30頃着)
【名古屋行】那覇空港(18:00頃発) → 中部国際空港(19:55頃着) 

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\ 各日程の詳細はこちら /
クリック・タップで詳細を閲覧できます

 小橋川 清弘 様 講演

基地の中の村づくり
現在、読谷村(よみたんそん)における基地面積は約36%です。
これまでの闘いで実感したのは、自分たちの村をよくするためには、そこに住んでいる自分たちが立ち上がらなければならないということです。基地を返還して平和的な跡地利用をすることを、私たちは「平和行政」と名付けました。平和は誰もプレゼントしてくれません。平和は自分自身がつくっていくものなのです。沖縄スタディツアーを通して、未来の法律家、行政官の皆さんに沖縄戦、そして沖縄の現実をしっかり見て、関心を持っていただきたいと思います。

座喜味城址(世界遺産)

15 世紀に護佐丸によって築かれた城跡
15世紀初頭、築城家として名高い護佐丸によって築かれました。
特徴的な美しいアーチの城壁と門は必見。城跡の高台から西側を望むと残波岬や慶良間諸島も眺めることができます。琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産にも登録されています。
一番高いところに上がると、360度読谷村のほぼ全域を眺めることができます。本ツアーでは、この場所で、小橋川様の説明に耳を傾け、読谷村の全体像を頭に入れます。

読谷村役場

憲法の理念・高い志・魂を学ぶ
読谷村は、沖縄本島中部の西側の海にカギ状に突き出した半島に位置する、人口4万人余の村です。東には緑の山並みが連なり、西は東シナ海、南は比謝川を境として、北には景勝の地「残波岬」がある、美しい自然と豊かな伝統文化に育まれた場所です。かつての琉球王国時代には、中国(明)との進貢船貿易により、独特の文化圏を形成しました。しかし、第二次世界大戦では米軍の上陸地点となり、空と海からの猛爆にさらされ焦土と化します。第二次世界大戦へと突入した日本は、徹底した皇民化教育を行い、読谷村の人々も「天皇のために命を捨てる、敵国に捕まるなら自ら死ぬ」ことを当然と考えるようになりました。こうして、米軍が上陸した翌日の1945年4月2日、洞窟「チビチリガマ」における「集団自決」の悲劇が起こりました。チビチリガマへ避難していた住民140名中83名が「集団自決」により命を失い、そのうち約6割が18歳以下の子どもでした。

伊江島の景勝地

 湧出(ワジー)
伊江島の北側の海岸線沿いにある湧き水。戦時中、真水を手に入れる事は難しく、多くの人が水を求めてやってきました。また、米軍もワジーから水をくみ上げていました。現在、伊江島でも大変美しい景勝地。その湧出から出た水を追って海岸線を見たら、その美しさに絶句します。こんなに地球は美しいのかと。

城山(ぐすくやま)
伊江島では、タッチューの名で親しまれている城山。城山は、島より7千万年も古く、古い岩盤が新しい岩盤に潜り込む中で、一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象によって形づくられた世界でも珍しい山です。この現象は理論で語られていましたが、実際に見ることができるのは世界でも伊江島しかないということです。

わびあいの里

ヌチドゥタカラの家(反戦平和資料館)
わびあいの里は「家庭も社会も国も平和で豊かに暮らすためには、わびあいの心によってしか実現しない」との阿波根さんの信念から、若き日に学んだ京都の一燈園で実践されている「三詫びあい」から名づけられ、沖縄戦終結から39年目の1984年6月23日に開設されました。阿波根さんは、里で障害者に仕事を提供するとともに、人々が土に親しみ、人間形成、交流の場となる「福祉平和村」づくりを目指しました。わびあいの里には、「やすらぎの家」と「ヌチドゥタカラの家」の2つの施設があります。同年12月8日に開館した「ヌチドゥタカラの家」は、「平和のためには戦争の原因を学ばなければならない」という阿波根さんの考えを具体化したものです。人間の生命を粗末にした戦争の遺品と、平和のために闘った人々の足跡を紹介しています。土地闘争の中で収集した米軍の爆弾、原爆模擬爆弾、鉄線、標識や戦争直後の生活用品や闘争を記録した写真、土地を守る会の旗などを展示しているほか、戦死したすべての人たちを慰霊した「無縁洞」が安置されています。壁には「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ (聖書) 」 「基地をもつ国は基地で亡び核を持つ国は核で亡ぶ (歴史) 」という阿波根さんの信念と、非暴力に徹するたたかいの基本となった伊江島土地を守る会の「陳情規定」などが書かれています。

謝花悦子館長講演

阿波根 昌鴻の闘いと現状
ヌチドゥタカラの家の「ヌチドゥタカラ」とは「命こそ宝」という意味です。謝花館長は、常々「一番の宝は命。一番ありがたいのは健康。一番大切なものは平和だ」と話されています。そして、この3つが備わった時、本当の幸せが得られるのではないかと。聴く者の魂を揺さぶるような謝花館長の力強い言葉は、この平和への強い思いがあってこそだと感じます。一方で人を優しく包み込むような温かさを感じるのは、人の幸せを本当に願っているからなのだと思います。謝花館長が生まれたのは、伊江島ですが、伊江島の戦中・戦後を理解することで、沖縄の戦中・戦後の本質的な意味が見えてくるので「沖縄の縮図」とも言われています。伊江島で戦中・戦後、何があったのか、自分の目と耳と心でぜひ聴いていただければと思います。

【Aコース】

不屈館(瀬長亀次郎記念館)

戦後の米軍支配と闘った政治家 カメジローさんの不屈の精神を受け継ぐ
沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現を目指して命がけで闘った、瀬長亀次郎(元衆議院議員)が残した膨大な資料を中心に、沖縄の民衆の戦いを後世に伝えようと設立された資料館です。2013年3月に開設されました。

大嶺初子先生 講演(沖縄平和祈念堂にて)

戦争体験者の証言
当時、私は12歳でした。1944年4月、大勢の兵隊さんが突然にやって来て大変驚きましたが、当初は大変なことになるという認識もありませんでした。その後、私達の小学校は兵舎となり、10月10日には空襲が始まりました。地上戦になったあとの悲惨さは言語を絶します。戦争になれば、人は自分のために、家族のために、他人を殺します。二度と戦争ができる国にしてはならない。みんなで平和な国を作るために頑張りましょう。

摩文仁の丘

「沖縄戦終焉の地」


敗戦が濃厚となり、後退していた軍司令部が最後に辿り着き、自然壕を利用した第32軍司令部壕が置かれた組織線最後の砦となった場所です。 背後には崖がそびえ、逃げ場所を失った日本軍は、6月23日に司令官牛島満中将が自決したことにより組織的抵抗を終えました。しかし、アメリカ軍からの攻撃はやまず、事実上の戦いはそれからも続きました。 現在は、数多くの慰霊碑が置かれ祈り場としてはもちろん、憩いの場所となっています。



ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館

鎮魂と未来への平和の祈りを捧げる
終戦の翌年、真和志村民らは沖縄戦末期に米軍のガス弾攻撃を受け、多くのひめゆり学徒隊や陸軍病院関係者が亡くなった伊原第三外科壕の上に「ひめゆりの塔」を建立し、平和を希求する慰霊の塔としました。「ひめゆり平和祈念資料館」は、1989年、ひめゆり学徒隊に関する資料を保管・展示し、戦争の悲惨さを後世に伝えるため建設されました。

【Bコース】先着15名

久高島

神秘の島「久高島」と斎場御嶽

琉球王朝時代の神事がおこなわれた、神の島と呼ばれるʻ久高島ʼ。沖縄の魂の原郷で、悠久の歴史に触れる。琉球開闢(かいびゃく)の祖、アマミキヨが天から降りて最初につくったとされている島で、五穀発祥の地、神の島と呼ばれている。 (紹介文:南城市ホームページより抜粋)
斎場御嶽は、琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを斎場御嶽全体に敷きつめていったといわれています。今回は、先着15名様限定で久高島を訪れ、久高島在住のガイドさんから説明を受けながらまわります。
当日の事情により、行程に変更がある場合があります。



久高島地図

■ ハビャーン(カベール岬)

島の北端、琉球の祖神アマミキヨが降り立った場所とされている場所です。ハビャーンに向かう道には、古来より神木とされるクバの木が生い茂り、一帯の植物群生は沖縄県の天然記念物にも指定されています。クバの木の間を抜けると、美しい海が広がっています。
ハビャーンからは沖縄本島を臨むこともでき、昔は、岬から沖縄本島をはっきりと見ることができたら翌日は晴れ、見えないときは大しけになる、と天気を予想していたそうです。

■ イシキ浜とヤグルガー

イシキ浜は五穀の種子の入った壺が漂着したといわれ、五穀発祥の伝説となっている場所です。ウプヌシガナシーという健康祈願の祭祀では、男子はイシキ浜の石を3つ拾って、お守りとしていたそうです。ニライカナイ(魂のかえる場所)の対岸であり、かつては琉球の国王も礼拝のため訪れていたという大変美しい浜辺です。
ヤグルガーは、久高島の西側にある井戸(ガー)で、かつてイシキ浜に漂着した五穀の壷を拾う前に、神女が沐浴した場所とされています。

■ ハタス

イシキ浜に漂着した五穀の種子の中から麦を撒き、壺を埋めたとされる場所で、島の中央附近、畑の一角にあります。この場所から五穀が広がったと伝えられています。
諸説ありますが、「ハタス」とは「自分の役割を<果たす>」という意味もあるそうです。人間が生かされていることを感謝し、自身の果たすべき役割を誓う場所ともされていますので、訪れた際はぜひ手を合わせ、感謝を捧げ、ご自身の役割を誓ってみてください。


■ 外間御殿(ふかまどぅん)

久高御殿庭と並ぶ島の二大祭祀場の一つです。ここには、天頭神(天の神の総帥)、玉礼乃神(太陽神)、松乃美神(月の神)、ニレー大主神(竜宮神)、アマミキヨ神(国造りの神)百畑地方照乃神(植物の神)、梁万神(健康の神)などが祭られています。旧正月などの多くの祭祀が営まれます。徳仁港から歩いて10分ほどの距離です。フクギの茂る道を進み、いくつかの三叉路を通ると外間御殿があります。久高島には十字路はほとんどなく、三叉路とT字路しかありません。このような道の設計は、島に悪い気が流れ込まないようにするためだと伝えられています。

■ 久高御殿庭(くだかうどぅんみゃー)

外間御殿と並ぶ島の二大祭祀場の一つです。かつて、12年に1度行われていた久高島最大の神事といえるイザイホーの主祭場でした。イザイホーとは久高島で生まれ育った30歳から41歳までの既婚女性が神女になる儀式です。御殿庭の横にはイラブーの燻製小屋があります。イラブーはウミヘビの一種で、燻製にして食用にします。久高島では、イラブーは神がこの島に与えた天然の恵みと伝えられています。

■ 大里家(うぷらとぅ)
島の始祖家の一つです。五穀の神様となったアカツミーとシマリバーが祭られています。
また、琉球王朝第一尚氏最後の17代尚徳王が恋仲となった神女クニチャサはこの家の出身と伝えられています。建物は瓦屋根の木造で古い民家のように見えます。現在は、住民や島を訪れる人の礼拝場のようになっています。

■ フボー御嶽

琉球の七大御嶽の一つと言われ、先祖の魂が宿り、草木一本も獲ることが許されない聖域で、島の神女が祭祀の時のみ入る場所である。立ち入り禁止の場所なので、入り口から拝します。
敏感な方は、エネルギーを感じるそうですが、私は感じることができませんでした。奥にある円形広場は、イザイホーという伝統祭祀が行われる最高の聖域でもあり、何人たりとも立ち入ることはできませんという看板がありました。

■ ロマンスロード
久高島の先端カベール岬から南に向かって降りてくると、細く舗装された小道になります。これがロマンスロードと呼ばれている整備された遊歩道です。海風が、ロマンスロードを吹きぬけます。久高島の海風を感じながら、ゆっくりと歩いてみるのも良い体験になります。
 

宿泊ホテル

1日目
むら咲むら(読谷村)

沖縄県中頭郡読谷村高志保1020-1
ホームページ

2日目
かりゆしアーバンリゾート・ナハ(那覇)

沖縄県那覇市前島3-25-1
ホームページ

講演会を実施します

 

小橋川 清弘 様

【講演テーマ】 基地の中の村づくり
沖縄県読谷村生まれ。
読谷村立歴史民俗資料館館長、読谷村役場会計管理者を歴任され、2018年3月定年退職。読谷村役場では、長年に亘り、総合企画・平和行政を担当し、戦後の読谷村の基地問題に身を投じています。
編著には、『読谷村史』、『読谷ブックレット』など多数。また、1981年から「読谷まつり」を担当。2004年まで24年間総合進行係として携わっていました。

謝花 悦子 館長

【講演テーマ】 阿波根 昌鴻の闘いと現状
戦後、島の三分の二が米軍軍用地とされた伊江島で、土地返還を求める運動の先頭に立ち続けた阿波根昌鴻さん。
伊江村に生まれた謝花悦子現館長は、その運動を、阿波根さんが2002年に101歳で亡くなるまで支え続けました。
現在は阿波根さんと共に建設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の館長を務めています。

大嶺 初子 先生

【講演テーマ】 沖縄戦を生き抜いて
~12才の戦争体験~
中学の家庭科教師を38年間勤め、退職後は沖縄県教職員会女性部の部長、副会長を歴任。 12才で沖縄戦を経験。
戦後70年を経た今なお、県内外で「一人ひとりの平和と幸福のために」言語を絶する自身の戦争体験を伝え続けています。
2013年県職員女性部部長時代に、元白梅学徒隊として野戦病院に動員された中山きく先生の体験を基にした絵本『白梅学徒隊 きくさんの沖縄戦』を完成させ、沖縄戦の事実を多くの方に知ってもらいたいと、様々な形で尽力。
現在は、琴の音(ことのね)保育園理事として園児を温かく見守っています。

沖縄スタディツアー参加者の声

A さん 【東京都 20歳代】

沖縄スタディツアーという企画には以前から興味を抱いておりました。他の受験指導校では絶対にやっていない、「合格後を見据えた」この企画に、私は伊藤塾の強い理念を感じていました。そして、スタディツアーを通して得られたものが2つあります。1つ目は、今後自分が目指すべき法律家の像を、具体的に描けたことです。2つ目は、かけがえのない同志や仲間を得られたことです。3日間という短い期間でありながら、これほど一緒にいて楽しく、そして刺激的な人たちとの出会いは初めてでした。

Mさん 【茨城県 20歳代】

「スタディツアー」と題されているように勉強の3日間でしたが、参加者は同じ法律に関わる者同士一体感があり、みな個性的で、様々な興味深いお話を聞くことができました。それは普段Web受講で勉強仲間が身近にいなかった私にとってとても刺激的で、ここで出会った方々とのご縁は大切にしたいと思いました。講師の方々と交流できたのも嬉しかったです。沖縄スタディツアーは期待以上に有意義なツアーなので、参加したことのない方にはぜひ一度参加されることを心からおすすめします。

Kさん 【東京都 50歳代】

今の日本情勢の現状、改憲の流れに危機感を抱き、平和学習としての伊藤塾沖縄スタディーツアーに思い切って参加することにしました。沖縄の地で見て聞いて触れて肌で感じて、あまりにも重くたくさんの沖縄を受け止めて参りました。伊藤塾長の志をしっかり、これからの行政官としての責任を果たすべき使命を警います。最後に伊藤塾長、講師の先生方、スタッフの皆様、ツアーの仲間の皆様、関係者各位に心から感謝と御礼申し上げます。素晴らしい伊藤塾沖縄スタディーツアーでした。

Iさん 【東京都 50歳代】

今回私はツアー3回目の参加となりました。現地に行かなければ学べないことや感じられないことがあります。沖縄スタディツアーは法律家を目指して勉強する私たちが学ぶべき基本を教えてくれます。読谷村の夜の懇親会では琉球踊りを一緒に踊り、最後の夜は国際通りのライブハウスで歌やカチャーシーを楽しみました。ツアーに参加する塾生同士どの試験を目指しているかに関わりなく打ち解けていると感じます。以前からの知り合いのような会話ができるのは、寝食を共にしているからでしょうか?沖縄スタディツアーで教えて頂いた多くのことは、これから仕事等に付加価値をつけて社会で活かして行くことが私の役割と感じました。

片方雅恵さん(行政書士)

平和のためには、戦争の原因を知り、考えなくてはならない。
平和学習の本当の意味を知り、平和のために人生を捧げることが尊いのだと体の芯まで響いてくる。

H.Yさん

沖縄のこと、基地のことなどは、日常生活では話題にしにくい雰囲気もありますが、このツアーにおいて同じ関心を持った仲間たちと、その場でいろいろな考えを述べあい、議論できることは、とても大きな意義がある貴重な時間だと思います。

S.Tさん(司法試験受験生)

毎年参加し、同じ場所、同じ先生方のお話を聞いても、常に新たな学びがある、それが沖縄スタディツアーの最大の魅力だと思います。しかも、普通の観光ツアー、平和運動のツアーとは全く違う、伊藤塾ならではの訪問先、偉大な先生方との出会いがあります。