沖縄スタディツアー参加者の声

LOVE    Okinawa

行政書士 / 片方雅恵さん

 
訪れる度沖縄が深くなる。
ホテルのベランダから南国の夜風と幻想的なランタン祭りに身を委ねる。
旅情溢れる至福のひととき。
時よ、止まれ。
 
那覇空港の到着ロビーでは、美しい胡蝶欄がお出迎え。
今年も沖縄を訪問させて頂けた。
雨模様の中、ユネスコ世界遺産座喜味城址へ。
去年は、晴れていたので最古のアーチ石門を散策。
石門はとても素晴らしかったが、戦時下では、レーダー基地と化したことに悲壮感を抱いた。
今年は、記念館の見学となった。
記念館では、読谷村の生活の歴史を一気に辿る。
印象的だったのは、人間国宝の焼き物の絵柄が妙にユニークで愛らしかったこと。
案内の小橋川さんが、反戦には香り高い文化と知識が必要と強調されていたことに納得出来た。
確かに読谷村は、非暴力と交渉力と知識を超えた知恵で勝負し基地返還させ、国民主権を明らかにし個人の人権を尊重し民主主義と住民自治を実践している。
読谷村は、鳳凰の形をしており、沖縄全体を引っ張る真に平和の先駆者なのだ。
講演終了後は、琉球舞踊と沖縄料理を堪能し、ツアー仲間たちと懇親を深める。
これもまた、ツアーの醍醐味。
 
2日目は、昨年に続いて伊江島を訪問。
伊江島は、戦争全容の縮図とも言われ、戦中戦後を理解することで沖縄問題の本質が見えて来る。
住民、日本軍、米軍の三者が混在したことで戦争の悲劇が拡大した。
米軍の政策は、沖縄を押さえろ。
本土決戦の準備場とされ、何の罪もない住民が巻き添えとなり島全体が壊滅し死体の山と化したのだ。
 
去年は、雨模様のため城山の入り口までで、一歩足を踏み込んだ時、木々に精霊が宿る聖なる気を感じ取り稀有な山と感じ取つたが、今年は晴れて山頂まで登頂成功。
伊藤塾アタック隊、皆よく登った。
城山は、島より7000万年も古い岩盤が、新しい岩盤に潜り込み、一部が剥がれ形作られた世界で類い稀な神のおわす山で戦争の砲弾にも屈しなかた。
山頂から伊江島全体が見渡せ、現在は波光燦めくエメラルドグリーンの海に囲まれ綺麗に整備された緑多い島。
全てが焼き尽くされた死体の山から島民はどれ程の思いで復興させたことであろうか。
ツアー仲間たちもそれぞれの思いを抱いたことと想う。
そして城山の神は、全てを知っておられるのだ。
 
ニィヤティヤ洞窟は、防空壕として利用されたが、冷んやりと陰鬱な気が漂っていた。
凄惨な戦争の後遺症と人々の心の傷は癒えておらず、不発弾処理も進まず、戦後も多くの犠牲者を出した。
洞窟内を抜け出すと透明度が高すぎるほど透き通った碧い海と同化する青い空と真っ白な雲と波飛沫が綺麗なコントラストを奏で今も波音が聞こえてくる。
沖縄を想う気持ちは、純粋でありたいと願った。
 
ヌチドウタカラの家を訪問。
館長の謝花悦子さんは、昨年も大変なご病気を抱えながら命を削ってまで平和への願いをお話しされ、我々に元気を戴いたとおっしゃっておられたが、再会させて頂き昨年より本当にお元気に見えたのがまず嬉しかった。
経済優先の政策は、戦争への危険を孕む。武器、新兵器が地球環境、自然破壊を促す。
命こそ宝。力強い講演にツアー仲間たちも熱心に耳を傾けている。
先日射殺され大事な命を落とした中村哲医師と同じ思想であることにも触れ、人道主義を強く訴えられ、我々の2度の訪問に重ね重ね謝意を示された。
強く優しい大きな方との印象は、変わらない。
反戦資料館では、ガラスケース越しでなく、血痕の付いた生々しい戦争遺品が展示され、おどろおどろしい戦争の恐怖を肌で感じ、生の資料の一つ一つが戦争の真実を語っていた。
戦争史実の重みに耐えきれなくなる。
戦死者の無縁洞も安置され、思わず手を合わせた。
 
私の見た伊江島。
去年の手記より。
雨模様の天気が哀しくその中で紅いハイビスカスが色鮮やかに精一杯咲き、サトウキビ畑もざわわざわわと風に凪いでいる犠牲者鎮魂の静かな島。
生の戦争遺品に触れたとき、沖縄問題の主題を僅かながら理解し敬虔な気持ちとなる。
 
今年の思い。
平和のためには、戦争の原因を知り、考えなくてはならない。
平和学習の本当の意味を知り、平和のために人生を捧げることが尊いのだと体の芯まで響いてくる。
あまりにも大きな犠牲を忘れては神の怒りに触れる。謙虚であれ。
 
那覇の夜。
塾長の平和への願いのお話は、いつも心打たれる。
憲法学者としての見地からだけではなく、人間としての在り方を教わるのだ。
島唄民謡ライブショー。
毎年このライブで涙を流す方がおられる。沖縄人の真のソウルが響く。
万感迫る想いが募ってくる。
首里城の火災という大悲劇にもみまわれ、沖縄県民の琉球王朝からの支え、最後の砦であったはず。
それでも空を見上げ、唄い踊り乗り越えようとする姿に心揺さぶられる想いだった。
今年は、若い学生の参加が多く平和意識の高い志を頼もしく、そして若者らしく弾ける姿をとても嬉しく感じた。
帰り道は、ライブの余韻とアメリカ統治化の名残のある異国情緒漂う国際通りを夜風に髪をなびかせホテルへ。
I LOVE Okinawa  ありがとう。沖縄。
 
最終日。
神の島   久高島へ。
太古の伝統、しきたりが連綿と生き続け儀式も伝承されそのため開発の手が入ってない日本でも珍しい島。古代そのもの。
先ずは猫がお出迎え。猫は神である。
琉球開祖アマミキヨが降臨し、最初に造った島。
神話伝説を下に確かに自然の中に神が宿る自然神信仰の存在を肌で感じる。
理論、理屈ではない。頭で考えるのではない。
その時その場所に気がある。古代の息吹も感じる。
太陽、月、地球。その運行と自然に身を委ね、肉体は滅んでも魂が生き続けるのは本当かもと実体験。見えないものが見え、聞こえないのが聞こえるのだ。
自然と一体となる。
聖域の神の島は確かに存在した。
 
南城市に入り、世界遺産 斎場御嶽へ。
琉球王国最高の聖地。神秘的な聖域に邪気が払われ心洗われる。
沖縄はやはり不思議に魅了される特別の島である。
 
終わりに。
昨年は、ひめゆりの塔を訪れ、平和祈念資料館では、敢えて残酷な映像を注視した。今までは避けて通っていたのだが。
真実を知らなくては。後世に伝える平和伝道者としての責務と考えた。
戦争体験者の想像を絶する悲惨なお話も伺った。
学徒隊は、まだまだ将来のある有望な若者。
お母さんは、国のためとはいえ、どれ程の想いだったことだろう。
戦争に出すために産んだのではない。
 
平和祈念公園の平和の礎見学の際、暴風雨で大荒れとなり、その中でガイドさんが必死に説明して下さる。
周りは伊藤塾関係者以外誰もいなくなり皆、真剣に耳を傾け聞き入った。
平和の礎には、犠牲者全ての名前が刻まれている。
あの大荒れの風雨の轟音は、犠牲者の雄叫びだったであろう。
もう二度と戦争をするな。 と。
地獄より地獄だと。
 
憲法9条改憲の動きには強い危機感を抱いている。
解釈上戦争容認となってしまう可能性を孕むのだ。
私のツアー参加のきっかけだった。
沖縄は、戦後も本土の犠牲となり治外法権からも苦難の歴史の連続。
基地問題の解決策もなく戦後処理は終わってない。
まだ、戦争は終わってないのだ。
沖縄の地であまりにも重い多くの沖縄問題を受け止め、平和活動へこれからの行政官として責任を果たすべき使命を誓うことをこのツアーを通して学んだ。
今、日本は一大転換期を迎え、舵取りを誤ると大変危険な状況に陥る。
法の力で戦争を回避し、唯一被爆国である故戦争放棄、平和を訴える権利を有す。
No More Nagasaki  No More Hiroshima  No More Okinawaである。
自衛隊も船舶もヘリも救援に動くことが、本望であるはず。
戦争の手助けをすることではない。
戦争は、地球を全てを破壊するのだ。
未来永劫これからの人々のため、美しい地球を守るため私は平和伝道者として人生を捧ぐ。