沖縄スタディツアー参加者の声
スタディツアーに参加して
今年は伊江島、久高島と船での移動が多く、朝早いのが大変でしたが、行ってよかったと思えるツアーでした。
伊江島のたっちゅう(城山)からは島全体が見渡せます。昨年は天候が悪く上まで登ることはできませんでしたのでお話を聞いても実感がわいていなかったことが、今年はしっかり想像できました。それは、戦争の際、島全体が一枚の燃える板のようになった、というお話です。たっちゅうに上る前、海岸に面したガマに入りました。水平線からずっと奥まで続いている、とても大きな洞窟です。そこから外の方を眺めると、今はとてもきれいな海が広がっていますが、アメリカ軍が上陸する前には海岸線にはアメリカの軍艦が並んでいたということです。目の前から迫ってくる敵の存在。どんな気持ちで隠れていたのかと想像しようとしてもしきれません。そして彼らが上陸したら今度は天井が焼けつくされた、というわけです。いくら海に近くて天井から地表まである程度の深さがあるといっても、頭上が一面火の海になれば熱くないわけがありません。自分たちの生活していた場がどうなっているか見に行くこともできず、次の瞬間命さえどうなるかわからない状況に置かれるということの恐怖を少し想像することができた時間でした。
久高島では今でも残っている地割制度の跡などを見ることができました。小さな島ですからもちろん米軍基地も自衛隊の基地もありません。遠浅の海はとてもきれいで、訪れた日には男性の儀式があるということで港の周りに人が集まっていました。沖縄独自の信仰の中心地である久高島ならではの風景だったのかもしれません。今では本島に働きに行ってしまう人も増えてきたけれど、年間を通して行われる儀式など、従来の生活をできるだけ続けているのだというお話を聞き、真水や耕作に使える土地など、必ずしも潤沢ではない資源をお互い顔の見える関係の中で分け合って生活するためにいろいろな知恵を絞ってきたことが伝わってきました。
こんな考え方を維持できる環境、のどかといえばのどかですが、限られた資源をどうみんなで分けるのかということに工夫を凝らす人たちがいる場所が今でも存在しているのが沖縄です。このような気持ちを持っている人たちが住む土地を、外国に無条件で差し出し、力づくで世界規模の戦争の最前線にしてしまう現在の日本政府の想像力のなさ、無神経さを感じました。
また、実際にアメリカ軍の関係者による犯罪の被害者になるところだった、というお話を地元の方からうかがうことができました。まだお子さんが生まれてすぐの頃、夫婦げんかをして家を飛び出し、赤ちゃんを抱っこして歩いていたら米軍の車がすっと寄ってきて止まったそうです。あわやというところで、追いかけてきたお連れ合いが「彼女は私の妻だ」というような大声を出してくれて難を逃れたとおっしゃっていました。もし彼女に何かあったら、お連れ合いはきっと些細なことだっただろう夫婦げんかを一生後悔することになったかもしれません。そんなことがすぐそこにある日常はどう考えても異常です。
私自身、このスタディツアーへの参加は数回目になります。毎年同じようなお話をうかがいますが、そのたびに新しいことが印象に残ったり、一年たって忘れていたことがあることに気づいたりと、単なる繰り返し以上のものがあると感じています。沖縄のこと、基地のことなどは、日常生活では話題にしにくい雰囲気もありますので、同じ関心を持った仲間たちと、その場でいろいろな考えを述べあい、議論できることにもとても大きな意義がある貴重な時間だと思います。その一方で、年に一度、三日間滞在するだけで何がわかるのだろう、という気持ちも大きくなってきています。スタディツアーに参加するようになってから、今までよりもさらに沖縄への関心は高まりましたし、日ごろから沖縄の地方紙にも目を通すようになりました。その意味では、全く関心を持たないよりは幾分ましかもしれませんが、ツアーを終えて自宅に戻り、友人たちに「今年のツアー報告」をするたび、これでいいのかな、という問いが心をよぎります。自分なりの結論がいつか出るのか出ないのか、いずれにしてもしばらくはこのスタディツアーを頼りに、沖縄を知ることを続けていきたいと思います。