沖縄スタディツアー参加者の声

「特別ノ御高配トハ此レナノカ辺野古ヲ埋メル土砂トナル骨」(東京都)中島加略人2021年11月14日朝日新聞朝刊朝日歌壇より

                               
大田 聡

 
第21回法学館沖縄スタディツアーの企画で私が最も期待していた企画は、沖縄戦遺骨収集ボランティア ガマフヤー代表具志堅隆松氏の講演です。米軍との戦いであった沖縄戦で亡くなった方々の遺骨が混ざる土砂を米軍の基地を造成するために埋め立てる土砂として使ってよいのでしょうかとの訴えでした。沖縄戦において亡くなられ遺骨となり人権さえ主張できない方々の声なき声を拾い上げ収集し尊厳を守るろうとする強い思いと情熱に改めて心を強く動かされました。
確かに、人間の尊厳を貶め人道上許されないのではないかと思える事業です。しかし、法的な問題はなく国が事業として行おうとしている現実に関して、法律に携わろうとしている人間としてどう考えるべきなのか、傍観者でよいのか大きな問題提起を突き付けていただいたと思っています。真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」ならではの講演でした。
そして、かつて琉球王国であった沖縄の文化と交易の国としての歴史をたどる企画「首里地区を歩く」は、沖縄戦での鉄の暴風にさらされたことによりほぼ壊滅したため、戦後に、修復された首里城などの遺跡や奇跡的に残った石畳道をガイドの方に解説していただきながらの街歩きも強く印象に残りました。一つの王国であった時代の繁栄と平和で豊かな島あった時期へのロマンに浸りながら、また、一方でそれが戦争で跡形もなく失われた無念さに思いをはせながらウォーキングを楽しみました。沖縄の地政学的な意味でも軍事ではなく、逆にかつてのように平和で豊かな島として青臭い理想主義であるとしても将来的には交易のハブになる場所として繁栄することを考えていくべきではないかと思いました。
さらに、読谷村では、小橋川氏の講演で基地のない沖縄が実現できればどれだけのことが実現できるか大きな希望と勇気を持つことができました。ただ、たぶん私の理解が間違っていると思うのですが、講演後の質問に対し、「欲」による紛争と国家権力による殺し合いだと私が考えている戦争とを同じ次元で話をされたように理解しました。欲による紛争であれば法律による解決ができることが当然の前提となりますが、戦争はそうした解決ができない事態です。紛争と戦争を同じ次元で考えておられるという私の理解が正しいとすれば、それを突き詰めて考えていけば法律による解決を否定することにつながるように感じました。法律家を目指すものとしては、印象に残るやり取りとなりました。
私は、今回のスタディツアーで3度目の参加となります。初めての時は、伊藤塾で行政書士講座の受講をしたことをきっかけに沖縄スタディツアーの存在を知り参加をしました。その初参加の際に本ツアーのビッグボス山本先生に身に余る歓迎をしていただき、それもきっかけの一つとしてお調子者の私は身の程を考えず予備試験の受験勉強を開始したのでした。
正直、間もなく高齢者といわれる私には、想像以上のハードルの高さで音を上げへこたれかけています。定年退職後に悠悠自適でええのに、なんでこんな自己肯定感が全く得られない、ストイックな生活をわざわざせにゃならんのんやと思う日も多々あります。
しかし、今年沖縄が本土復帰50周年ということもあってか、私の祖父の言葉を引用し沖縄の現状に心を寄せる方々による映画の撮影・上映や新聞記事の掲載などが続きました。冒頭に紹介した短歌もこの歌を選ばれた朝日歌壇選者の馬場あき子先生の評に「沖縄戦で自決した大田少将の辞を二句まで掲げた訴え」と解説があります。
こうした映画上映や新聞記事は、私にとって孫のお前が現状から目を背け、頬かむりしてていいのかと突き付けられているようです。沖縄の現状を考えれば、へこたれている場合じゃないぞ!と。そして、もし「大田」の孫として向き合おうとするならば、生まれただけで手にした孫という資格だけではなく、うまく使えば国を相手に戦える資格も合わせて手に入れれば、相乗効果を生み出してより向き合えるはずと考えます。さらに、私の個性を最も生かすことができるとも考えます。
先日行われた宮中歌会始の和歌の選者であり、日本歌人クラブ名誉会長・日経新聞歌壇の選者である三枝昂之先生はその歌集「遅速あり」で、やはり私の祖父の言葉を引用され「「沖縄県民斯ク戦エリ」「リ」は完了にあらず県民は今も戦う」という歌を残されているという記事が数年前に掲載されました。この歌が私への個人的な叱咤激励だったのだと後で笑って言えるような残り人生にしたいと考えています。ハードルは確かに非常に高そうですが、諦めず頑張っていきたいと思います。