沖縄スタディツアー参加者の声

沖縄スタディツアー参加レポート                        

行政書士受験生 Kさん
 

スタディツアースタート -愛らしい魔物たち-

12月9日の朝、まだ夏の日差しを感じる那覇空港に到着しました。これまで仕事で3度訪れた沖縄ですが、今回は仕事でも観光でもなく「学び」がその目的です。
早速ツアーが始まり、バスガイドさんの紹介する琉球文化や沖縄の信仰などの話に耳を傾けました。特に印象的だったのは、琉球時代から伝わる魔物の話でした。沖縄には曲がりくねった路地が多く、そこに魔除けの石碑「石敢當」が点在しているそうです。伝説によれば、魔物は角を曲がるのが苦手で、迷路のような路地をさまよったあげく「石敢當」にぶつかり、パッと砕けるそうなのです。私は魔物たちの愛嬌のある動きを思い浮かべ、まるでアニメを見ているような楽しい気分でツアーはスタートしました。
 

最初の学び -米軍基地と琉球王国の歴史-

バスの窓からは、ショッピング街を行き交う基地関係者やその家族たちの姿が見え、彼らの笑顔や子供たちの無邪気な様子が印象的でした。
また、基地を囲むフェンスは思ったよりも続いており、その向こう側には、彼らの住む家々や学校などの敷地が静かに広がっていました。
これまで、沖縄の基地施設はある程度隔離された立地にあるとばかり思っていたのですが、実際には一般の生活圏の中に当たり前のように存在していて驚きました。
また地元の住民とは、もはや「共存」と言ってもよいほどの距離感にあることも初めて知りました。
そんな光景を見ているうちに、私にあった華やかなリゾート地のイメージが徐々に変わっていき、気づけば沖縄の歴史や基地問題の経緯を調べ始めていました。
・ 琉球王国は、400年以上にわたり独立国家として存在していた
・ 琉球王国は、薩摩藩の侵攻によりその支配下となった
・ 琉球王国は、明治政府の「琉球処分」で完全に日本に編入され消滅した
・ 沖縄県は、戦後27年間、米軍統治下に置かれ日本から切り離されていた
・ 沖縄県は、米軍基地を継続的に使用することを条件に日本へ返還された
このような歴史の変遷について今まで正しく理解できておらず、知っているつもりでいた自分に、情けなく恥ずかしい心境になりました。

学びを通じたつながり -懇親会のひととき-

これまでの沖縄訪問は、「リゾートアイランド」としての沖縄の魅力を取材するためでした。
ところが今回、ツアー初日にして、その華やかさとは正反対の側面に気づかされたのです。
ツアーには伊藤塾長も参加されていたので、ぜひこの気付きを聞いてもらいたく、懇親会でお話しさせてもらいました。
塾長は、リゾートや観光は沖縄にとって大切な経済資源だが、私が目にした実情も重要な課題であり、その両方を総合的に考えることが大切だと、いつもの穏やかな口調でコメントしてくださいました。
今にして思うと私の愚痴のような話でしたが、塾長の言葉に気落ちした心境もやわらいでいたのを思い出します。
懇親会では、講師や実務家の皆さんとも楽しく交流し、私たちの質問に快く応じてくださいました。
また他の受講生ともすぐに打ち解け、試験勉強の苦労や将来の夢、ツアーの感想など話題は尽きず盛り上がりました。
この懇親会では、皆さんとの共通の学びを通じたつながりを強く感じながら、充実したひとときを過ごしました。

学びのフィードバック -法律や行政を学ぶ意義-

このツアーで私は、そこで生活する人々がたどった歴史を正しく知り、理解することの重要性を実感しました。
また先人から受け継いだ文化やその価値観は、かけがえのないものであり、個々の思いを大切に守っていくことが、私たち法律や行政を学ぶ者の重要な使命ではないかと考えました。
こうしてツアーを思い返しながら、今後はこの貴重な経験を胸に、仕事や学習に向かっていきたいと思っています。

追記-おすすめスポット-

最後に、このツアーでいちばん楽しみにしていたプログラム「コザ街歩き」を紹介します。
旧コザ市(現在の沖縄市)は、私の心に残る映画『Aサインデイズ』の舞台となった街です。
映画に描かれていた当時の雰囲気が、今でも随所に残っていて感動的でした。
「Aサイン」とは米軍が営業を認可した店に掲げる看板で、大きなAの文字が特徴です。
コザにある沖縄市戦後文化資料展示館には、実物の「Aサイン」のほか、出兵前に名前や日付を記した1ドル紙幣も展示されており、映画のシーンと重なって感激しました。
またコザのライブハウスでは、登場人物のモデルとなった宮永英一さんの生演奏や講話を聴くことができて忘れられない思い出となりました。
街のメインストリート「コザゲート通り」を歩き、嘉手納基地の方へ進むと、基地の通用門のかなり手前に黄色いラインが引かれていました。
注意書きはあるものの、このラインを越えて進入した人が連行されることも珍しくないそうで、率直に怖いと感じました。
そんな緊張感と映画のロケ地を巡った感動とが相まって複雑な心境になり、劇中のこの台詞を思い浮かべました。
 
❝来年の5月15日から、ここもニッポンさ
アメリカ相手から、今度は日の丸が相手さ
嬉しいんだか悲しいんだか、よくわからんさ❞
©1989 大映
 
そのとき思ったのは、ここに生きてきた彼らの琉球人、沖縄県民、あるいは日本人としての意思や思いは、外から介入してきた力に幾度となく軽視され、置き去りにされてきたのではないかということです。
そして、これが私の持ち帰るべきテーマのひとつだと確信しました。
以上、観光と学びを一度に体験できる、私のおすすめスポットを紹介してこのレポートを終わります。