真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
1997.12.01

第28回 使い方の難しさ

 インプットよりもアウトプットの方が難しい。

 これは論文の勉強だけではありません。我々の生き方そのものについても共通している気がします。

 技術やお金を得ることは少しばかりの才能と努力と時間があればなんとかなるものです。しかし、それを使いこなすには智恵がいります。

 これは個人のレベルも国家のレベルも同じです。

 バブルのころ、日本中の企業と個人がお金持ちになったようです。

 しかし、お金があるというだけでニューヨークのビルやルノアール、ゴッホの絵を買いまくり、数年後には巨額の損失を出して売り払っています。あの金のほんのいくばくかが第三諸国にまわっていたら、極度の貧困が国民の自立を妨げているアジア・アフリカ諸国の今はもっと違っていたでしょう。日本のメッセージも伝わったはずです。

 残念ながら、日本は文化も芸術も理解せず、ただ金儲けが唯一の目的であることを世界に宣伝して終わってしまいました。

 総会屋にばらまく金があるのなら、本当にその会社の株主や社員が喜んでくれる海の家を作った方がよっぽどましでした。誰も使わない港湾施設や魚たちにとって邪魔者でしかない河口ぜきを作る金があるのなら、阪神大震災の被災者の方の自立を助ける個人補償がどれだけできたでしょうか。

 ODAにしても相手国民の迷惑になっていることが多いと聞きます。武力に代わる外交政策として日本国民の利益になる戦略援助かというとそうでもなさそうです。個々の国民の意思とはかけ離れた国益という得体の知れないもののために、相手の生活や人権を侵してまで1兆円もの巨額の支出をしています。国際貢献という名のもとに金をばらまいて人権侵害、環境破壊を引き起こしている現代は、アジア同胞のためという名目で武力による人権侵害をしていた時代とどこが違うのでしょうか。本質的に何も変わってはいません。

 個人、企業、国家を問わず、理念がなければせいぜい金や権力を持っている間だけしか相手にされません。世界の中で日本は顔が見えない国とよく言われます。理念があるのかないのか、何を考えているのかわからないらしいのです。吉田、片山、鳩山、岸、池田、佐藤、田中、三木、福田、大平、鈴木、中曽根、竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山、橋本と並べてみるとだんだんと情けない気持ちになってきます。国民も自分がどうするかではなく日本がどうなるのかを他人事のように心配している人の方が多いようです。

 これから日本は世界に何を発信すればいいのでしょうか。これは国家としての日本の存在意義にもかかわります。

 しかし、それは我々と無関係に抽象的に決まることではなく、個人のレベルで自分は何をしたいのか、自分は何のために今ここにいるのかを一人ひとりが自覚することから始まるのだと思います。

 個人のレベルで自分の持てるものを人のために生かそうという気概が集大成して、国家のレベルで何ができるかが決まってくるのではないでしょうか。自分は世の中に対して何ができるのか、それを真剣に考えてみることが必要です。みずからのアイデンティティを理解しそれを生かしていくことはとても難しいことです。

 しかし、自分たちの能力の使い方に私たち自身の存在意義がかかっています。




 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
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