第354回 謹賀新年 伊藤塾30周年

今年2025年、伊藤塾は創立30周年を迎えます。1995年にこの塾を立ち上げて、多くの受験生の支持を得てここまで続けてくることができました。法曹や士業の道に進み各分野で活躍している塾生、公務員や民間企業などそれぞれの舞台で活躍している塾生、各人の人生を懸命に生きている多くの塾生のおかげで、30年も続けることができました。心から感謝します。
思えば、1981年に司法試験に合格してから受験指導を続けてきましたが、当初は苦難の連続でした。専門の法曹養成機関がない日本だからこそ、学歴や出身学部・年齢に関係なく多様なバックグラウンドを持った有為な人材が誰でも法曹を目指せるようにしたいと考え、自分が真のロースクールを作るんだという決意で、裁判官でも検察官でもなく法曹養成の道に邁進することにしたのですが、それこそ心が折れそうになることもいろいろありました。
それでも論証パターン(論点ブロック)を使った学習法やフローチャートを使った理解、憲法と商法、民法と刑法、民訴と刑訴など各法律を対比しながら学習する学習法などこれまでにない多くの法律学習法を生み出し広めてきました。法的三段論法という言葉自体がほとんど知られていなかった時代にこれを受験界に広め、「原則・例外」という思考方法など大学ではあまり学ぶ機会のない法的思考も一貫して重視して指導してきました。
信じられないかもしれませんが、過去問を使った論文学習も40年前は一般的でなく答案例もありませんでした。そこで昭和24年からのすべての司法試験論文過去問について答案例を作って講義をしてみたら、自分でも多くの発見があり、とても勉強になりました。最近は、学者の中にも塾生が増えてきたためか、当初、批判されていた論証パターンも肯定的に評価されるようになりました(法学セミナー2024年12月号「刑法研究者が作った論証パターン」)。ひとつのツールですから使い方次第であることは初めから明らかでしたが、改めて他者の評価など気にせず、自分が信じることを続ける力の大きさを実感しています。
新しいことを生み出す面白さに惹かれて、この受験の世界で自分なりの最善を尽くしてきたつもりです。「ゴールからの発想(逆算思考)」や「合格後(一歩先)を考える」等の理念は、伊藤塾を巣立った後どの世界に進んでも役に立つに違いないと考え、その重要性を訴え続けてきました。当初は「伊藤真の司法試験塾」としてスタートしましたが、「塾」と名付けたのも、試験の合格だけでなく、試験に向けて真剣に学ぶことを通じて自分自身を成長させる学び舎にしてもらいたいという思いがあったからです。
試験をめざす以上、合格・不合格の結果は避けられません。不合格を突き付けられて茫然自失する自分の弱さに嫌気がさすことがあるかもしれません。ですが、伊藤塾は人の弱さが保障されている場所です。誰もが弱さを持っています。弱さを隠すことなくしっかりと自分と向き合い、苦しむ時間にも意味があると気づける場でありたいと思ってきました。
その弱さとの出会いが自分自身の人格に磨きをかけ、自分の弱さを知ることが他者の弱さを理解することにつながります。それが法曹や公務員、士業をはじめ多方面で活躍していく塾生を人間として深めてくれるに違いないと信じてきました。だからこそ、苦労した塾の先輩が後輩を教えるシステムも30年前から今日まで続けてきているのです。
塾を立ち上げて初期のころに「合格後を考える」という塾の理念の実践として、合格者や塾生を連れて、「スタディツアー」という研修旅行を始めました。最初は合格者と韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、そして沖縄に一緒に行き、日本の戦争責任や国際人権について考える機会を設けていましたが、現在では受験生を中心に沖縄に行き、3日ほどかけて沖縄の過去・現在を知り、自分が法律家になった未来をそれぞれが考える機会にしてもらっています。
実際に現地に行ってみると、聞こえてくる地元の人の会話や爆音、自然の音や匂い、温度など、さまざまなものを感じることができます。そうして体で感じることと、知識として理解していることとは異なることに気づいてもらいたいと思って始めたツアーです。頭を使って考えたり調べたりすることはどこでもできますが、感じることは現地に行かなければできません。
「明日の法律家講座」も伊藤塾の個性として特色ある伝統になりました。先輩法律家や学者、行政官、国会議員などの著名人のみならず、多方面で活躍している塾生の先輩も後輩のために講演に駆け付けてくれ、昨年末で358回を数えます。よく続いたものです。最高裁判所判事経験者が8人もいますし、検事総長、弁護士会会長、国連大使、事務次官の他、企業法務や刑事弁護のエキスパートも登壇してくれています。HIV訴訟や冤罪事件の当事者の方からのお話も伺うことができました。
この講座に参加することによって、その時々の社会が抱える問題への理解が深まり、自分なりに判断するための視点を持てるようになります。それだけでなく、自分の将来を考えるきっかけをつかんだり、勉強を続けるモチベーションになったという塾生も多いようです。
塾立ち上げの当初から、憲法価値を実現する法律家を育成したいという強い思いがありました。公務員や法律家(弁護士、裁判官、検察官、司法書士、行政書士)に限らず士業は、憲法の価値を実現する仕事です。特に法曹三者は憲法99条や弁護士法1条で憲法価値の実現が法定されています。そのことを自覚して仕事に取り組んでほしいのです。
ここでいう憲法価値とは、個人の尊重(憲法13条前段)のことです。一人ひとりが尊厳ある存在として尊重され、それぞれの個性をお互いに尊重しながら共存できる社会を憲法は目指しています。異質な他者との共存が憲法、そして立憲主義の目的だといってもいいでしょう。
インターネットやSNSが私たちの日々の生活の中に当たり前のように入り込む時代になり、日本のみならず世界では憲法の理想とは相容れない分断が進んでいます。昨年は世界的な選挙イヤーでしたが、欧米でも移民排斥を謳う右派や自国第一主義が議席を伸ばしています。ドイツではショルツ首相の連立政権が崩壊し、信任投票が否決され、旧東ドイツだった3州では極右政党が大幅に躍進しました。オーストリアとオランダではイスラム教徒と移民を敵視する極右政党が第1党となっています。
どの国をみても異質な他者との共存とは逆方向に向かっているようです。ロシアとウクライナとの戦争、ガザにおけるハマスとイスラエルとの紛争は、多くの民間人が犠牲になっているにもかかわらず、依然として停戦の兆しが見えません。世界の安全保障環境が大きく変化している中で、日本の立ち位置も高度な戦略と卓越した外交手腕が求められる時代になっているといえます。これまでのように対米従属であればいいというわけにはいきません。
塾を立ち上げた1995年は戦後50年、今年は戦後80年になります。戦争体験者を第1世代とすると、戦争体験者から直接話を聞いたことがある私のような人が第2世代、それすらない第3世代が増えています。そんな中で、違憲の集団的自衛権行使を容認する閣議決定と安保法制法の制定以来、日米の軍事一体化が進み、憲法が断ち切ったはずの軍事同盟政策に逆戻りしてしまっている日本の現状があります。
昨年も、日本が戦場になることを想定した日米軍事訓練が全国で行われていました。たった80年前までは、鬼畜米英と叫びながらもアジアの他民族蔑視を当然とし、政府の発表を真に受けて提灯行列で南京陥落を祝っていた日本臣民です。政府やメディアを無批判に信じた結果、ついには無差別空襲と原爆により無残に殺傷された日本臣民は、第3世代が増えるにつれ、その痛みと教訓をすっかり忘れてしまったようです。
この戦後80年間は、沖縄の犠牲や日米安保条約・地位協定の理不尽などがありましたが、それでも日本国憲法の下で国家としての戦争をしないでくることができました。これは奇跡的なことです。1930年代と類似していると指摘されることの多い今ですが、だからこそ、理想をお花畑と嘲笑するのではなく、現場感覚をもって理想を語り実践する士業が一人でも増えてほしいと思っています。
ドイツでヒトラーが緊急事態条項を濫用した上で全権委任法を成立させた1933年の前年、日本では5・15事件で中国に理解があった犬養毅首相が軍部に暗殺され、翌年国際連盟を脱退してしまいます。その後、1940年の日独伊三国同盟により完全に軍事同盟政策に戻ってしまい、無謀な米国との戦争に突き進んでいきます。そうして自ら迎えた愚かで悲惨な敗戦への反省から、日本国憲法は生まれました。
私たちが今を生きる「ここ」と、ガザのパレスチナ人が今を生きることすらままならない「そこ」は同じ地球です。私たちと彼ら彼女らは、どちらも子どもを愛する同じ人間です。現実には時間を超え、空間を超えることはできません。しかし、意識のレベルでは自由のはずです。だからこそ、想像力を働かせ「今、ここ」で生きることができる幸せを実感しながら、それぞれ自分の課題に向き合い、一歩一歩淡々と前に向かって進んでほしいと願っています。苦しくとも、その学びの過程の中で得られるものは法律知識以外にもたくさんあるはずです。
伊藤塾も司法試験、公務員、司法書士、行政書士、宅建士、海事代理士などこれまで応援してきた資格に加え、今年から社会保険労務士や中小企業診断士の講座も始めました。30周年を迎え、これからも伊藤メソッドをブラッシュアップした画期的な学習法で多くの受験生を応援していきます。司法試験のCBT対応をはじめ、新しいことにもさらに挑戦していきます。先が見えない時代だからこそ、その存在意義が増すように、これからも「変わらぬ理念と進化する伊藤塾」であり続けます。今年もよろしくお願いします。

伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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