真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
2024.08.01

第349回 あれから10年

 2014年7月1日に集団的自衛権行使を認める閣議決定がなされてから、今年で10年になります。大学生の皆さんにとっては、中学、高校でこの政府見解を当然のことのようにして習ってきたため、安保法制法が違憲と言われてもピンと来ないかもしれません。

 2014年から15年にかけて集団的自衛権行使をめぐり日本中で大きな論争が起きました。2014年7月1日まで日本政府は、集団的自衛権の行使は認めないという立場を一貫してとっていたためです。自衛隊はあくまでも国土防衛のための組織であり、他国のために戦争することはできないとする憲法解釈が長年厳格に守られてきました。時の政権がどれだけ認めたいといっても、一貫して憲法上の歯止めをかけてきたのが内閣法制局でした。2014年7月以前は国会でも自衛隊の海外派遣が集団的自衛権行使にあたらないか真剣な議論が行われるなど、国家をあげての憲法実践として、集団的自衛権行使は憲法上認められないとしてきました。

 

 ところが2014年7月、時の安倍政権によって限定的な集団的自衛権行使は容認されるという閣議決定が行われてしまったのです。あくまでも認めないとする当時の山本庸幸内閣法制局長官を辞任させ、後任に容認派であるフランス大使など歴任した小松一郎氏を起用し、それを引き継いだ横畠裕介氏が集団的自衛権行使を容認する憲法解釈の変更を打ち出しました。

 

 安倍元首相は『この国を守る決意』という著書の中で、「軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカと対等な関係にはなれない」と述べるなど、集団的自衛権行使を認めるべきだと主張し続けてきました。それを主権者国民の意思を問うこともなく憲法解釈の変更という手段で実現したのです。

 

 内閣法制局長官を辞任した後、最高裁判事に就任した山本庸幸氏(先日伊藤塾の「明日の法律家講座」で、最高裁判事として8人目となる講演をして下さいました)は今年2月に出版された回想録の中で、次のように述べています。

 

 「憲法解釈は、その社会に与える影響、とりわけ法的安定性の観点から、よほどのことがない限り、まるで手のひらを返すように安易に変えるべき性格のものではない。中でもこの憲法9条の解釈は、現行憲法の三大原則の一つである平和主義の根幹にかかわるもので、過去半世紀以上にわたって国会での論議に耐え、国民の間に定着してきたものであるから、なおさらだ。」そして、「集団的自衛権は、……戦争行為を行うことができることを意味する。これほどのことが、現行憲法9条の下で認められるとは、とても考えられないのである。どう理屈をこねても、憲法を改正しない限り、それはできないと言わざるをえない。」と指摘されました。

 

 さらには、「それだけではない。集団的自衛権のみならず、国連平和協力業務中の駆け付け警護で国又は国に準ずる組織と戦闘をすることや、戦時の中東で交戦国の同意なくして機雷の除去を行うことなどは、明らかに武力の行使であり、憲法で禁じられていることは、言うまでもない。そのようなことが、憲法の改正なくして、解釈の変更という名目でいとも簡単に行い得るなら、憲法96条の改正規定などそもそも要らないということではないか。」と強く批判されています。

 

 学校の授業で教わった内容とかなり違うと思われた方もいるかもしれませんが、これが法律家の世界では常識かつ一般的な理解なのです。石川健治東京大学教授も、7.1閣議決定について憲法改正手続を経なければできないことを法律改正で行ってしまったことは、憲法96条違反であり「法学的にはクーデター」だと批判されます。

 

 ここで改めて7.1閣議決定と安保法制法によってもたらされたこの国のかたちの変容を指摘しておきたいと思います。昨今の岸田政権による憲法無視の非立憲政治は目に余るものがあります。内容において憲法を無視するのみならず、手続においても後に述べるように、議会制民主主義の手続を軽視しています。さらには、インターネット広告規制、資金規正、最低投票率の定めがない等の憲法改正国民投票法(手続法)の欠陥を放置したまま、改憲意欲を見せています。そして、そもそも非人口比例選挙によって選ばれた国会議員には憲法改正の正統性がありません。

 

 岸田政権により当初想定した以上の安保法制法の罪深さが明らかになってきました。集団的自衛権が、他国防衛を本質とする軍事同盟政策そのものであることから様々な問題が生じているのです。少し極端だと思われる方もいるかと思いますが、考える素材という意味で5つほどあげてみます。

 

 第1に軍事同盟政策へ逆戻りという点です。

 安保法制法が成立して以降、急激に日米軍事一体化が促進されました。頻繁に米軍との軍事訓練が繰り返され、6月も日本を戦場にすることを前提としたバリアント・シールドという実戦的訓練が行われたばかりです。この日米同盟の強化によって、日本は「同盟のジレンマ」に陥っています。これは、同盟国から見捨てられないように同盟関係を強化することによって、逆に同盟国の戦争に巻き込まれる危険が増大することをいいますが、まさに日本の現状です。

 

 そして、集団的自衛権行使や軍事同盟は武器の共有を不可欠とするため、武器輸出が解禁され当然のように兵器開発も促進されました。殺傷兵器の最たる戦闘機共同開発や輸出、そしてミサイル・弾薬のライセンス生産など平和国家の看板を捨て去り、なりふりかまわずに「戦争する普通の国」へまっしぐらです。また、集団的自衛権の本質が他国防衛である以上、これを認めることは、日本領域外における武力行使を当然に伴います。それが2022年12月の安保3文書により敵国攻撃能力(反撃能力)として顕在化しました。

 

 現実問題としては、南西諸島の軍事要塞化が顕著です。沖縄、石垣、宮古、与那国などが米国のための対中国最前線基地と化しています。「台湾有事は日本有事」との言説が拡散されて国民の不安を煽り、政治家が国民に闘う覚悟を求める始末です。こうした対米従属によって日本の国家としての主権そのもの、そしてアイデンティティ、つまり平和国家、専守防衛、安心供与、異質な他者との共存という憲法に基づいた平和外交の方針が国民的議論を経ないうちに毀損されました。

 

 第2に外交への悪影響が指摘できます。

 同盟政策により米国の敵が日本の敵となるため、日本外交の選択肢が狭まってしまいました。中国、ロシア、北朝鮮、アラブ諸国との関係悪化を招く危険のみならず、世界の分断に拍車をかけるような悪影響を及ぼしかねません。特に、グローバルサウスの国々や、いわゆる権威主義国との関係悪化の懸念が生まれています。

 

 第3に、旧日本軍の復活ともいうべき自衛隊の軍隊化です。

 自衛隊の前身である警察予備隊は、旧日本軍出身者が過半数を占めていたものの、当初はあくまでも国内治安維持部隊であったはずです。現在では完全に他国で武力行使し、米軍と共に戦う軍隊へと変貌してしまいました。さらには自衛隊幹部による靖国神社参拝など、死亡した自衛官を「顕彰」するために靖国神社を精神的支柱にする動きが活発になっています。旧日本軍と変わらぬ閉鎖対質の下で、パワハラ・セクハラ問題に対する自浄作用も働かず、特定秘密保持に関する規律の緩さや裏金問題の隠蔽など自衛隊内部の不祥事も続いています。組織改革がなされないまま予算だけ倍増していくと、武装集団たる自衛隊に対する民主的統制が不十分なまま巨大化することになり、かえって国民にとって危険性が増します。 

 

 何よりも、こうした自衛隊の軍隊化は、9条で戦力を放棄した憲法が許すはずもありません。そもそも軍隊の価値原理は、個人の尊重、人権尊重、民主主義といった市民社会の価値原理とは本質的に相容れません。軍隊では、個人よりも組織を重視します。軍隊では各人の主体性よりも命令に服従することが不可欠とされます。何よりも命と人権を尊重する市民社会と異なり、命を奪い人権を否定することに価値を置く組織が軍隊です。この軍隊化した自衛隊が市民社会に様々な悪影響を与え、市民社会そのものが、「力がものを言う社会」になりかねません。

 

 第4に安保3文書による軍事優先国家、すなわち国家総動員体制への変貌と国民の負担増大を許してしまいました。

 従来と比較にならないほどの軍事費負担が、国民生活を圧迫し、地方自治へも負の影響を与えています。平和の中で平穏に暮らしたいと願う国民の声を無視して、抑止力一辺倒の安保政策を続けることにより、近隣諸国に脅威を与え、かえって安全保障のジレンマによる緊張関係の高まりから、国民を不安に陥れています。

 

 そして安保3文書で示されたように、世界第3位となるほどの国防予算の拡大、それに伴う税負担、医療・年金などの社会保障の削減、軍需産業の育成、学術研究の軍事利用(学術会議法人化問題)、民間空港・港湾軍事利用など、国民生活が戦争と密接に関わるようになってしまいました。戦前の高度国防国家を想起させます。

 

 第5として理念としての立憲民主主義への悪影響をあげなければなりません。

 まず、立憲民主主義の「立憲」という点です。安倍政権も岸田政権も、憲法に従うといいながら、憲法無視の態度をとり続けています。安保法制法を強行採決し違憲の既成事実を積み重ねていく憲法無視の非立憲的態度は、立憲主義国家として許されることではありません。

 

 そして立憲民主主義の「民主主義」の方もあまりにも軽んじられています。

 昨今の国会は、民意を反映し統一的な国家意思形成をする場ではなくなってしまいました。政策決定のプロセスがあまりにも不透明で非民主的なものになっており、有識者会議の諮問→その報告書に基づいて閣議決定→国民を置き去りにしたままでの米国と合意→それを既成事実のようにしての国会で強行採決です。しかも情報も公開しないで、こうして閣議決定ですべて決める手法が、あらゆる重要政策においてまかり通ってしまっています。

 

 確かに、憲法9条や13条は理想です。77年前に始まった憲法は、それを百も承知の上で、その前文の最後に「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と高らかに宣言しました。この理想に向かって行動する日々の過程、一日一日が重要なのです。憲法は未完のプロジェクトと評されることがありますが、平和憲法の理想に向かって、主体的に活動する国民・市民の成長こそが意味のあることだと考えます。

 

 ヒトラーは「大衆の理解力は小さいが、忘却力は大きい」と『わが闘争』で述べていますが、私は安保法制法の違憲性を決して忘れません。過去の日本の戦争、ウクライナの戦争、ガザの戦争から、「絶対に戦争を始めてはいけない」という教訓を得て、平和憲法の理念を活かすことこそが、この国にとって最も現実的な未来であるはずです。2つの原爆の日や、加害者となった責任を自覚する日でもある終戦記念日を通して戦争と平和を考えることが多い8月を迎えるにあたって改めて考えています。

 




 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
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