第355回 ビジネスと人権

元タレントの中居正広氏と女性とのトラブルを巡ってフジテレビが10時間以上にわたる記者会見を開きました。冒頭にフジテレビ会長が「人権に対する意識の不足から、十分なケアができなかった当事者の女性に対し、心からお詫びを申し上げたい」と謝罪し、今回の事件について「人権侵害が行われた可能性のある事案」と説明がなされました。
フジテレビを巡る一連の問題について経団連の十倉会長も、「日本のような世界でプレゼンスが高まる国は人権問題に嗅覚を持つことを要求されている」などと述べ企業経営者に人権の尊重を徹底するように求める考えを示したそうです。
この一連の問題では、フジテレビ側からも、その対応を批判する側からも、やたらと「人権」という言葉が連発されています。今回の騒動の結果、皮肉にもフジテレビのCMがほとんどACジャパンの人権や環境の啓発用CМに差し替えられている状況です。人権について考えてみる貴重な機会かもしれません。
言うまでもないことですが、今回の事件は、女性と中居氏との間、もしくは関係者とフジテレビという企業との間の問題であり、私人間の問題ですから、そもそも憲法の人権規定は直接適用されません。あくまでも憲法上の人権は、国家など公権力に対して主張するものであり、私人間では直接適用されないと考えるのが、憲法の通説です。
それでもこれだけ人権が口にされるのは、人権は憲法が規定したから保障されるものではなく、誰もが生まれながらに保障されるものだという天賦人権思想が多少は日本社会にも浸透しつつあるからでしょう。しかも人権は国内で保障されるだけでなく、世界人権宣言や国際人権規約、女性差別撤廃条約などの国際法となって世界的な価値として認められています。こうした理解が広がっているとしたらそれ自体は喜ばしいことです。
憲法を意識することなく、人権が重要という意識が広まっているからこそ、法律を学んだことがない経営者も自称ジャーナリストも「人権」を口にするのだと思われます。ですが、法律を学ぶ者は、憲法を意識しながら人権の問題として考えてみる必要がありそうです。
さて、人権侵害だというのであれば、具体的に誰のどのような人権を問題にしているのでしょうか。誰のどのような行為をもって人権侵害といっているのでしょうか。こうした問題は、誰のどのような人権が、誰によって侵害されているのか、そしてそれは許されることなのかを切り分けて考えてみることが必要です。
問題となりそうなこととして、①被害女性と中居氏との当事者間トラブル、②当該事件に対する会社の対応、③フジテレビが過去行ってきたことなどが問題になりそうです。①は民事法的にはすでに当事者間では示談が成立し解決済みと思われます。事実は当事者にしか分かりませんが、仮に性的被害があったとして、これを成熟した大人の行為でありながら人権侵害だというのであれば、それは当事者の非対称性(社会的立場における強弱の関係)故に女性側の意思を無視した行動がとられたことを示唆します。
これは場合により刑事事件になり得ますが、憲法の視点で考えるのであれば、個人の人格権、自己決定権の侵害、そして人間としての尊厳を棄損されたという問題とすることができます。つまり、本人の意思を無視して性的な道具として扱われたことは個人の尊厳の侵害だということです。
次に②の当該事件に対する会社の対応ですが、当該事件への社員の関与に関してはどうやらこれは週刊文春の誤報であったようですから、むしろ、週刊文春による名誉棄損が問題となりそうです。しかし、会社の危機管理として記者会見の在り方や初動対応には企業統治という観点からは問題がありました。また、事件を把握した後も中居氏を出演させ続けたことが批判されますが、これは法的問題というよりも経営判断の妥当性の問題です。会社による当該事件の調査が女性のプライバシーを根拠に控えられたと説明されていますが、憲法の観点からは、女性のプライバシー権と会社の人事施策を含めた経済活動の自由、報道の自由との調整が問題となります。
問題は③です。これまでも女性アナウンサーを接待要員として利用してきたことなどが問題視されています。記者会見でも、女性アナウンサーを接待に駆り出したことについて会社の中に、ある種の企業風土があったのではないかとの質問もあったようです。
ですが、女性を接待要員とすること自体が問題であるとする捉え方には疑問を感じます。酒席での接待を職務内容とする仕事自体、コンパニオンやホストなどいくらでもあります。ここでは、本人の意思を無視して、直接・間接に酒席への同席を強要し、本来の職務内容でないことを強いたとしたらそれは問題だということです。職務上の地位を振りかざして、女性の意思を尊重せずに接待の道具として扱う企業風土があったとしたら、それは人間の道具性の否定つまり主体的な意思を持つ個人の尊厳の尊重に反していることになります。昭和の時代には各種企業で頻繁に横行していたこうした慣行は、現在の人権水準からすると、もう許されないということです。
それにしても、記者会見での質問者の態度からも人権を考えさせられました。相手への配慮を欠いた質問や二次加害につながるような質問もあったとききます。中居氏、フジテレビ関係者、10時間以上も檀上で対応しなければならない高齢役員の人権への配慮を考えたことがあるのでしょうか。自分が正義認定した人の人権を主張するだけでは不十分です。人権が普遍的な価値である以上、批判する相手にも人権があることを理解しなければなりません。今回は誤報に基づく糾弾もあったようです。刑事事件において被疑者、被告人、犯罪者にも人権があることを忘れている日本社会の在り方と通底するものを感じます。
今回に限らず、最近、企業経営において人権が重要だと指摘されるようになりました。2021年の世界経済フォーラム(ダボス会議)では、これからは人々のwell-beingを中心とした経済に考え直すべきだと提案されました。このwell-beingの中心は人権です。単に投資家の利益のためだけに活動するのではなく、従業員、地域住民、サプライチェーンの労働者、消費者などあらゆるステークホルダーの人権に配慮した経営をすることが求められているということです。従来からのESG投資やSDGsの推進も同じ流れですし、日本政府も2020年に国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」を受けて、「ビジネスと人権に関する行動計画」を策定し、企業にその対策を講じることを求めました。
米国のトランプ大統領は企業のDEI(多様性、公平性、包括性)に消極的なようですが、このように企業のガバナンスにおいて人権への配慮が必要という世界的な潮流は止められないと思います。ただ、日本では、こうした人権への配慮は、自社の株価を上げるため、企業の生存戦略のためには不可欠だからという理由で考慮されているようです。
今回も、外国人株主から指摘されて改めて、ことの重大性に気付いて記者会見をやり直し、人権発言を連発しているようですが、それも株主対策にすぎません。CMを止めた企業も自らの企業価値を下げないようにという投資家への配慮に過ぎないとしたら、本来の人権への理解が不十分と言わざるを得ません。
企業が人権への配慮を求められるのは、株価のためでも生き残りのためでもなく、人権という考えが「すべての人を大切にし個人の尊厳を尊重べきもの」、すなわち普遍的な価値だからです。人間を何かの手段として扱ってはならないことが人権の本質のはずなのですが、残念ながら人権が企業価値を上げる手段として扱われてしまっている。そのため、なかなか企業の風土、文化として根付きません。未だに人権は西洋近代キリスト教社会の産物であり日本にはなじまないと考えている人もいるようです。
2012年に発表された自民党の憲法改正草案は、驚くべきことに天賦人権を見直すことを1つの柱にしています。憲法改正を党是とする自民党ですが、安倍元首相はみっともない憲法と日本国憲法を批判しましたし、集団的自衛権の行使容認による憲法破壊だけでなく、憲法96条改正や自衛隊の9条明記、緊急事態条項などの明文改憲を主張していました。このように憲法価値に極めて冷淡だった安倍元首相と懇意にしていたのが、フジサンケイグループ代表の日枝久フジテレビ取締役相談役です。
以前フジテレビの報道番組に出演したときに、同席した自民党政治家にすり寄るテレビスタッフを見て強い違和感がありました。今回も二度目の記者会見に檀上に並んだのは高齢の男性ばかりで、その姿からは、口にする人権という言葉とは裏腹に、多様性や人権とはかなり遠い印象しか受けませんでした。
短絡的に今回の事件と企業の立ち位置を結び付けることは危険ですが、それでもフジサンケイグループが右寄りの改憲派であり、日本国憲法に否定的評価を持つグループの主軸であることは明白と思われます。人権は、西欧思想であり、日本の文化伝統になじまないという発想が根底にあったのではないでしょうか。ちなみにフジテレビの「グループ人権方針」には憲法を尊重するとは一言も出てきません。
産経新聞を傘下に収めるフジサンケイグループが人権や憲法に冷淡な企業であることは、同グループ傘下の扶桑社の教科書からも裏付けられます。「新しい歴史教科書をつくる会」によって作成された扶桑社の日本史教科書は、日本の侵略戦争や戦時中の行為を美化し、特に日本軍慰安婦問題や韓国人の強制連行についての事実を否定する内容が含まれていると批判されています。
フジテレビは労働組合の加入者が少ない会社だそうですが、労働基本権という人権も軽視されていたのかもしれないと、つい先入観をもってしまいます。各種報道に接するときも、私たち自身が先入観の怖さを知り、事実と評価とを区別するメディアリテラシーを身につけ、人権本来の意味を理解して企業の価値や方向性を見定めることが必要です。
人権は決して一過性の「はやり言葉」、バズワードではありません。長い歴史の中で血と汗と涙による闘いを経て人々によって勝ち取られてきた人類の成果です。そしてそれは正しく主張し続けなければ消えてなくなってしまう脆弱なものです。今一度、憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」を想起すべきです。ちなみにこの97条も自民党改憲案では削除されています。
人権がこのような普遍的価値だからこそ、一人ひとりの個人から成り立っている企業は、人権の価値と意義を踏まえた経営を心掛けるべきなのです。憲法価値をしっかり身に付けたビジネスロイヤー(士業)の存在は今後もますます重要となっていくに違いありません。「憲法、憲法とうるさい奴だ」と言われ続けながらも、今後も憲法価値を実現する士業をしぶとく応援していきたいと思っています。

伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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