真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
2008.01.01

第149回 謹賀新年

 東京の早稲田と三ノ輪橋を結ぶ路面電車があります。都電荒川線です。私はこの路面電車の走る東京の下町、荒川で生まれ育ちました。近所の路地で走り回り、缶蹴りや鬼ごっこをしながら腕白な毎日を過ごしました。大工をやっていた祖父の影響で大工道具で遊ぶのが好きだったものですから、近所の垣根をのこぎりで切ってしまっては怒られていました。

 戦争で焼け野原と化した国土を復興させ、高度経済成長期を迎える貧しくも希望に満ちた時代でした。1956年に発表された「経済白書」に「もはや戦後ではない」という言葉が載り、流行語にもなります。私はその2年後に生まれたのですが、戦後13年を迎えて悲惨な戦争の記憶が消えつつあった時代ともいえます。

 私が幼稚園に通っていたころは、自宅にはテレビがありませんでしたから、向かいのお宅にあったテレビを毎日のように見せてもらっていました。夕ご飯をごちそうになったり、一緒に遊んでもらったり、ご近所に育ててもらったようなものです。「格差」や「貧困」があったにも関わらず、「希望」、「夢」、「明日」、「家族」といった価値が何の疑いもなくみんなで共有されていた時代でした。

 それから50年たった今、世の中では昭和ブームだそうです。懐かしいものに人気が集まり、タイムスリップしたような空間や映画が人を集めています。昔を古き良き時代として懐かしむだけでなく、この間に失ってしまったものを取り戻したいという気持ちが無意識のうちに働くからでしょうか。

 他方で「正義」、「勝ち組」、「財力」といった力を象徴する言葉がもてはやされます。政治の世界でも、昨年は多数の力によって国民投票法が成立し、今年もアフガニスタン給油新法が強行採決されようとしています。軍事的にも貢献できる大国でありたいと望む若い政治家も多いようです。

 勝つことが正義であり、声の大きい者が正義を語ると皆がそれになびいてしまう。有無を言わさず正義と邪悪、勝ち負けの二項対立の世界に人々を引き込んでいく。そんな社会でいいのでしょうか。競争の毎日で、勉強でも仕事でも勝つことが常に求められ、精神的に参ってしまう人が後を絶ちません。

 私は腕白な子ども時代に遊ぶ中でいろいろなことを学びました。喧嘩などどっちも言い分があるし、勝ち負けなんか簡単に決められないこと、声の大きな者に従っていると失敗すること、本当に強い者には弱い子を気遣う優しさがあることなどなど。

 もちろん、私は自分の子ども時代の方がよかったと言いたいのではありません。いつの時代にも常に光と陰があります。私の子ども時代にも公害問題、朝鮮戦争
やベトナム戦争に加担した日本があったことを忘れることはできません。日本の景気もそして私の生活もアメリカの戦争によって支えられていたことは紛れもない事実なのです。いわば、他人の不幸の上に自分の幸せが築かれていたわけです。

 このような幸せは本物ではないという感覚を持てるようになるには、少し時間が必要でした。これまで憲法価値を守るために理不尽に抗い、体制に迎合せずに闘ってきた市民が大勢いたからこそ、今の私の自由があり、50回も新年を迎えることができたことに改めて感謝せざるをえません。

 法律家は勝ち負けの世界で生きることを強いられます。だからこそ、それだけではない別の価値を見いだせることが必要なのだと考えています。試験の合否という現実に直面しなければならない皆さんだからこそ、必死に努力することによって得られるものは大きいはずです。

 今年が皆さんにとって価値ある一年になることを心から願っています。




 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。