真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
1998.06.01

第34回 競争試験

 この司法試験は資格試験ではなく競争試験です。

 競争試験というと、つい他人を蹴落として自分がのし上がることをイメージしてしまいます。 

 確かに試験当日は結果的には相対的に実力が判定されます。

 自分がどんなに頑張ってもまわりがそれ以上の人ばかりなら落ちてしまいます。

 逆に自分がどんなに手を抜こうがそれ以上に怠けた人が多ければ合格します。 

 特に択一試験では他の人が取れる問題をいかに落とさないかが合否の決め手である ことは繰り返し言ってきたとおりです。勉強のコツはひとえに合格者と同じ事を準備し、合格者と同じ解き方をすることにあります。 

 論文試験でも基本的には変わらないでしょう。個性的な答案がいいんだという試験委員の先生の言葉を真に受けて、人と違うことを書きすぎるとひどい成績で落ちてきたりします。ほどほどが一番いいようで、よほど頭のいい人以外はあまりにも人と違った答案を書こうと思わない方がいいようです。

 このように試験当日は相対的な試験です。しかし、そこにたどりつくまでは、あくまでも自分との闘いです。こんな陳腐なことをいまさら言い出すのは、試験に失敗すると合格した人をうらやましく感じたり、場合によっては妬んだり、普段の勉強でも人がやっていることが気になって落ちついて自分のやるべき事を実行できない人があまりにも多いからに他なりません。

 この試験は自分の弱点をきちんとつぶしていけば必ず合格できます。いつもいっているように人間が考えた法律を人間が理解しようとしているのですから、単純なものです。人智の及ばない自然を相手にしたり、無限の創造性のみが頼りの芸術などとは根本的に違います。常識的な社会人なら誰でも理解できるものです。また、法律はそうでなければ国民主権とはいえないでしょう。そこそこ量が多いだけです。しかし 、それだって医師や薬剤師の国家試験などに比べれば大したことはありません。人の命を預かる職業につく試験である点は変わらないはずです。多少、厳しくたって当然でしょう。司法試験の難しさはひとえに目標に向かって自分の弱点を冷静に謙虚に見つめてそれをきちんとつぶしていけるかにかかっているのです。この場面では競争相手は他人ではありません。自分自身です。怠けたい自分、甘えたい自分、時間がない自分、驕りたい自分、不安になる自分、弱気になる自分、これらが競争相手であるにすぎません。こうした自分を否定するのでなく、これらも自分なのですからきちんと認めて受け入れて、その上でしっかりと対策を立てる冷静さを持てるかがこの試験の要なのです。人をうらやましがることは、ある種のエネルギー源にはなります。しかし、それはけっして目標にはなりえません。皆さんはあくまでも自分しかできないことを実現するためにこの試験を受けています。自分でなければいけない理由をしっかりと自覚して頑張らなければなりません。他人と自分を重ねるのではなくて、あくまでも「こうありたい」自分が目標であるべきなのです。 

 択一で結果を出せた人も出せなかった人もみな自分が目標です。頑張れ。

 


 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
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