真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
1998.08.01

第36回 自分の位置づけ

 最近、自分がこのままでいいのか不安だという相談をよく受けます。

 ひとつは、友人はみな就職して社会に貢献しているのに自分だけ親のすねをかじっていつまでも試験勉強なんてやっていていいのかという不安。

 もうひとつが、友人は大学生活を楽しんでいるのに自分は勉強ひとすじだけどこれでいいのかという悩みです。

 前者は社会貢献ができていないのではないか、後者は視野が狭くなるのではないかという心配のようです。

 大学の同期の友人に会ったりするとバリバリ働いて頑張っているようだ。ところが、自分は社会にとって何の役にもたっていないような気がして肩身が狭いというのです。しかし、人がどの時期に社会に出てどのような貢献をするのかはみな違っていて当たり前です。貢献すべき内容によっては充分な準備期間が必要なのは当然なのです。それこそみな同じ時期に社会に出なくてはならないのであれば、多様性をもった社会などつくれるはずもありません。

 いついかなる形で社会貢献するかは人それぞれです。たとえば、多くの皆さんは中学を出たら高校へ進んだと思います。しかし、その段階で社会に出て立派に貢献し始めた人も数多くいます。そのときに自分は未だ親のすねをかじって生活している、これではいけないと考えたでしょうか。大学へ入るときはどうでしょうか。たぶんそんなことは考えてもみなかったことでしょうし、そんな指摘をする人もいなかったでしょう。それは単に就職する友人が自分のまわりでは少数派だったからです。とするとその高校や大学のときと今との違いはなんでしょう。それは多数派がどちらかということにすぎません。要するに多くの人がそうしているときにそれと違う行動をとるとたたかれるというただそれだけのことなのです。人にはそれぞれ時期があります。将来なすべきことの社会への影響力が大きければ大きいほどその準備に時間がかかるのは当然なのです。何も気にする必要はありません。

 では、勉強まっしぐらになってしまうことの弊害という点はどうでしょうか。これも一見もっともらしい考え方です。大学生のうちにいろいろと経験をして視野を広げておくことはとてもいいことだからです。それ自体は誰にも異論のないところでしょう。しかし、視野を広げることと同じくらい、ある壁を突破することは重要なことです。専門分野をもち自分なりの物差しを持った人が本当の意味のゼネラリストになれると思います。あとは時期の問題です。自分の人生設計においてどの時期に視野を広げ、どの時期にとことんやって極めるかそれは自分で決めることです。あることを脇目もふらず一所懸命にやらずして一流になった人を私は知りません。どの分野でもやるときには徹底的にやって壁を突き抜けた人だけが本物になれると信じています。ですから、自分が今その時期だと思ったらとことん頑張るべきです。一生に一度くらい思いっきり勉強するときがあってもいいはずです。今、勉強しないでいつやるんだという考えもあっていいのです。

 要するに自分の人生は自分で決める。自分の幸福はあくまでも自分で定義するということです。それが自己決定権であり、個人の尊重だと思っています。




 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
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