真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
1998.10.01

第38回 授権資本制度

 皆さんは、こんなはずじゃなかった、と思うことはありませんか。

 勉強していてもっと楽に復習できると思っていた。
 もっと仕事と両立できると思っていた。
 もっと早く受かると思っていた。
 もっと択一なんて簡単だと思っていた。
 もっといい友達だと思っていた。
 もっといい職場だと思っていた。
 皆さんならこんなときどうしますか。

 自分の予想と違ったときにどんな行動をとるかは人それぞれです。

 人のせいにする人
 自分を責める人
 自分の能力のなさを嘆く人
 何も感じない人
 さらに努力する人
 予想が外れたこと自体を認めない人

 私の場合は単純です。

 いつものように受け入れて、後悔せずに反省することです。
 より良くなろうと努力します。
 いかにも優等生的な答えで、いささか自分でもうんざりします。
 最近はこうした思考は古いようです。
 上昇思考や向上心ということ自体が、自分を縛ることになり自分を苦しめるから何も考えないという人が増えているようです。
 何も考えずに生きていった方が楽だというわけです。
 確かに適度ないい加減さは必要です。
 人間、余裕というか遊びがなければ息が詰まってしまい、精神的に参ってしまいます。ですから、あまりにも理想の自分を高く設定してしまい、それとのギャップに苦しめられるくらいなら何も考えない方がいいというのも一理あります。

 しかし、私は身の丈くらいの努力はやはりしていこうと思っています。そして、それが達成できたら、また目標を少し高くします。
 ちょうど、定款記載の授権資本をすべて使いきったら定款変更して会社の発行する株式をまた4倍に増やすようなものです(商法三四七条)。初めから大風呂敷を広げるのではなく、予定を達成したらまた引き上げるということです。
 こうして身の丈ほどの予定ならそのあてが外れても苦しまずに受け入れて反省ができます。

 そして、予定どおりにうまくいかなくても全否定しないことです。少しでもうまくいったら部分的によしとしてしまいます。資本確定の原則はとらないということです(商法二八〇条の九)。
それを繰り返していけば、いつかはかなり大きなことができるのではないかと思っています。いきなり大きな目標を掲げてつぶれてしまうよりは堅実です。

 足下を見ながら一歩一歩と言っても良いかもしれません。

 そのためには当てが外れたときも自分を客観視できるだけの余裕は残しておかなければなりません。

 もうだめだと思ってからさらにもう一歩、ということで気持ちの上では120%頑張るのですが、実はもう少し余裕があるということです。本当にぎりぎりのところまで伸びきってしまったのでは戻らなくなってしまいます。

 当てが外れても修正するだけの気持ちの余裕を残したうえで精一杯頑張ることにしています。
 相手や状況をまるのまま受け入れるにはこの余裕がポイントです。

 今も少しづつこの限界点を伸ばしていくようにしています。




 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。