真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
2022.02.01

第319回 原点

写真は赤くライトアップされた1月31日の東京タワーです。中国の旧暦正月を前に一日限りのイベントでした。写真ではわかりませんが、展望台メインデッキの窓に「未来」の文字も点灯しています。コロナ禍、外交ボイコットなど様々な問題を抱えて始まる冬季北京オリンピックへのエールという意味もあるようです。今年は日中国交正常化50周年を迎えます。様々な課題のある日中関係ですが両国の未来が明るいものであることを願っています。

中華人民共和国いわゆる中国との国交は50年前から始まったのですが、それ以前は日本としては中国大陸を実質的に統治している共産党政府を認めず、大陸を支配していない台湾の国民党政府を全中国の代表と認めていたのですから、確かに中国共産党にとって「正常」とは言えませんでした。日中関係はこうして1972年に正常化したのですが、他方で日本と台湾との関係は絶たれ、「正常」とはいえなくなってしまいました。

 

ですが、日本と台湾は、経済の強い結びつきだけでなく、コロナ禍前は多くの観光客の行き来もあり、地震などの災害の際には相互に支援し合うような緊密な関係を維持してきました。中国の立場からすれば、台湾は中国の一部であり、台湾が独立主権国家としてふるまっていること自体が正常ではないので、これを正常な状態に戻すことが、核心的利益といいたい事情はわかります。ですが、だからといって軍事力によってその目的を達しようとすることは、内政問題だからという理由だけで正当化できるものではありません。

 

香港の人々が2047年まで「一国二制度」が保障されると思っていたら、事実上、中国共産党支配に取り込まれてしまい民主主義が限りなく後退してしまったのと同じく、台湾も中国の一部となった際には民主化やコロナ禍で見られたような先進的な統治システムは機能しなくなるであろうことは容易に想像できます。なんとか中国には懐の深さを見せてほしいところです。

 

国交正常化のために1972年9月に発せられた日中共同声明において、その3項で日中両国は、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言8項に基づく立場を堅持する。」と宣言しています。微妙な表現ではありますが、台湾は中国の一部だという中国の立場を「理解し、尊重」するけれども、「承認」はしていないという日本の意思が読み取れます。

 

この共同声明の前文においては、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と謳い、「日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。」と結んでいます。

 

日本は日中戦争についての戦争責任を認め深く反省し、両国の違いを乗り越えて友好関係を築くことが両国の国益に適うのみならず、アジアと世界の安定に寄与するというわけです。だからこそ、中国政府は国家としての賠償請求権を放棄し、そのことに多くの日本企業が感謝の念を抱いて、技術移転や中国経済の復興への協力を惜しみませんでした。1978年には、日中平和友好条約も締結されています。中国にとってかつては日本が経済発展のモデルだったのですが、バブル崩壊後は形勢が逆転します。日本はむしろ反面教師のモデルになったようです。

 

中国が経済的にも軍事的にも大国としての実力を備えていくにつれて、日中関係も良好とはいえなくなります。21世紀に入ってから小泉首相による靖国参拝への反発、2010年の中国漁船と海上保安庁船舶との衝突問題を契機に、日中関係が悪化していきました。日中国交正常化40周年の2012年には、尖閣諸島領有権問題が起こり、中国では日本企業への襲撃、日本製品不買運動が起こるなど日中関係は最悪といっていいような年でした。

 

当時、伊藤塾で毎年実施していた中国スタディツアーをこうした中でも決行するかどうか迷ったのですが、こうしたときこそ民間交流が重要であり、現場を実際に見てくることに意味があると考えて実施しました。上海や南京に行ってみて、例年どおりの穏やかな街の様子や私たちに対する変わらない対応などを経験して、メディアで流れる情報だけを信じてはいけないとつくづく思ったものでした。

 

このスタディツアーを通じて、テレビ・新聞・インターネットを見るときには、想像力の射程を意識して広げることが必要だと改めて実感しました。報道されていることの先にもっと大切なことがないか想像力を広げようとする意識は、日々の生活においても法律家としての仕事の際にも重要なことだと考えています。

 

日中共同声明第7項において「両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。」としています。それにも関わらず、中国は軍事大国化して覇権国家になろうとしていますし、日本は日米安保の下でアメリカの覇権を求めています。50年前の両国関係の原点に戻れないものでしょうか。

 

先月の雑感では、沖縄の本土復帰50年を紹介しましたが、今年はさらにサンフランシスコ講和条約発効による日本の独立から70年という年でもあります。日本がアメリカと戦争して負け、1952年まで占領されていたという歴史を意識することは現在ではほとんどなくなりました。ただ、日米安保条約による日本のアメリカへの軍事的依存がここから始まり、地位協定という不平等条約を日本側が望んで継続している事実を忘れてはなりません。

 

そして2015年に強行採決された新安保法制によって集団的自衛権行使が認められるようになり、日米の軍事一体化が驚くほど進んでいます。そこに憲法の観点から司法の力によって歯止めをかけようとして安保法制違憲訴訟を続けているのですが、裁判所は憲法判断を徹底して避け続けています。

 

日本の裁判所には、戦前と違って違憲審査権が与えられています。ところがこれまで全国で20件の判決が出ていますが、一つも憲法判断に踏み込んでいません。それどころか、ほとんどすべての判決は、「結審までに日本が他国から武力攻撃を受けていないこと」を理由に原告らの権利侵害は認められないとして原告敗訴の判決を導いています。しかし、日本が攻撃されてからでないと裁判所が原告らを救済しないのでは何のための裁判所かわかりません。

 

私たち弁護団の依頼を受けて直ちに極めて説得的な内容の意見書を作成してくださった長谷部恭男教授も、具体的危険の発生が客観的に予見される状況に至る前であっても、裁判所は、憲法判断に踏み込むことができるし、それは司法の職責であると指摘してくださいました。この事件はまさに裁判所の職責が問われる裁判なのですが、真正面からそうした責務に応えようとする裁判官に今のところ当たっていません。

 

残念な裁判という意味では、53条訴訟広島高裁岡山支部判決も極めて残念な判決で地裁判決よりも後退したものでした。国会議員による憲法53条に基づく臨時会召集要求を安倍内閣が98日間も無視したのですから、明らかに合理的期間の経過があり違憲のはずです。ですが、判決では、「内閣は合理的期間内に臨時会を召集する法的義務を負う」と言っておきながら、今回の98日間の放置が合理的期間を過ぎており違憲だとのあてはめを行いませんでした。

 

さらに臨時会が召集されなかったことによって原告の国会議員が国会活動を行えなかったことについては、仮定的ないし抽象的な可能性を指摘するに留まっていて具体的な損害を被っていないから救済できないとします。これでは損害賠償請求訴訟でおなじみの逸失利益という概念自体が不要になってしまいます。

 

なぜ、このような無理な判断をしたのかといえば、どうしても憲法判断をしたくないという頑なさが根底にあることを感じます。コロナ禍でも臨時会召集要求を内閣は80日間も無視しています。こうした内閣による憲法無視が続くと憲法53条は存在しないに等しく、これでは法治国家どころか違憲放置国家になってしまっています。こうした事態を避けるために明治憲法とは異なり、裁判所に違憲審査権を付与したのですが、裁判所が自ら戦前と同じく二流官庁に成り下がろうとしているようです。それでも自分が裁判官になった原点に立ち返って自ら職責を果たそうとする「希望の裁判官」もいるはずだと信じています。

 

1月27日、引退を表明したアメリカ連邦最高裁のスティーブン・ブライヤー判事のメッセージが裁判官の役割を的確に伝えてくれています(TBS NEWS Youtubeチャンネルより

「みんな意見が合わないけれど…」“分断の国”アメリカの若者に引退する最高裁判事が伝えたいコト」)。最高裁判事が合衆国憲法の冊子を持ち歩いているとは驚きですが、憲法価値の実現を「実験」と表現したことにも感銘を受けました。米国内の分断を乗り越えようという思いからの演説だと思いますが、日本国内における分断、日本と中国、韓国、北朝鮮などの近隣諸国との分断を避けるためにも、原点に立ち返って理想を追い求める意識と弛まぬ実験は日本でも必要なのだと思います。

 

私も憲法9条を壮大な実験だといってずいぶんと叩かれたことがありますが、そもそも法の理想を追求すること自体が実験なのだと改めて確信しました。どのような士業であれ、公務員であれ、憲法価値の実現のためにこの実験を続けていくことが実務家の使命なのだと思います。受験生としてそのための準備をしているのですから、それぞれの原点を忘れずに合格後を見据えて頑張っていきましょう。

 




 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。