第320回 戦争と平和

今回は、憲法53条訴訟や岡口裁判官の弾劾裁判について書こうと思っていたのですが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってしまったので、急遽テーマを変更します。
国連憲章2条4項は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」と規定しています。これは戦争が最大の人権侵害であることを踏まえて、武力行使を原則違法としたものです。今回の軍事侵攻は、明確に国連憲章に違反するものであり、決して容認することはできません。
ウクライナは、国土面積は約60万平方メートルで日本のおよそ1.6倍、人口は約4000万人超ですが、歴史的にみると、かつてのソビエト連邦共和国を構成した国として、ロシアと兄弟国のような関係にありました。しかし、このウクライナも、1991年のソ連の崩壊とともに歴史上初めて独立を果たします。
1990年ドイツが再統一される際、ドイツ全域にNATO(北大西洋条約機構)の支配が拡大することに懸念していたソ連(ロシア)に対し、西側の首脳は「NATOを東方に拡大しない」と説明していました。当時のベーカー米国務長官は、ソ連の最高指導者だったミハイル・ゴルバチョフ書記長に対し「もし我々がNATOの一部となるドイツに留まるなら、NATO軍の管轄は一インチたりとも東方に拡大しない」と語っていたそうです。これには都市伝説だという批判もあるようですが、少なくともロシアではそのように受け止められています。
しかし、冷戦崩壊後は、旧ソ連を構成していた国々が、北米・欧州の軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)に次々と加盟していき、現在は30カ国で構成するに至っています。ウクライナは、独立後NATOへの加盟をめぐって国内が二分します。両国の関係を決定的に悪化させたのが、2014年に起こったロシアによるクリミア半島併合です。2013年ウクライナでは、親ロシア色を強める政権に対し大規模な反政府デモが発生しました。その結果、当時の大統領はロシアに亡命し、NATOへの加盟を強く意識した親欧米の暫定政権が発足します。
2014年のクリミア共和国のウクライナからの独立と、ロシアへの併合(クリミア危機)を経て、親ロシア派武装勢力がウクライナ東部の一部地域を占拠して始まった紛争は、フランスとドイツが参加した「ミンスク合意」によってようやく停戦となりました。この合意は、親ロシア派武装勢力が実効支配するウクライナ東部2州に特別な自治権を与える内容となっており、ロシアにとってウクライナのNATO加盟を阻止する上で重要な意味を持ちます。
2019年2月ウクライナは憲法を改正し、将来的にはEU、NATO加盟を目指す方針を明記し、その後就任したゼレンスキー大統領もNATO加盟に対し積極的な姿勢を示しました。さらに2021年3月、ゼレンスキー大統領がミンスク合意を履行しないとの方針を明らかにしたためロシアは、ウクライナとの国境付近でロシア軍の増強を進め、NATO側にこれ以上拡大しない確約や国境付近での軍事演習の停止を要求します。その要求が受け入れられないとみるや、プーチン大統領は、2月21日ウクライナ東部の親ロシア派が支配しているドネツク州とルガンスク州の独立を承認し、それらの地域の親ロシア派国民保護を名目に平和維持部隊を派遣することを指示し、今回の軍事侵攻に至ります。ロシアの狙いとしては、ゼレンスキー大統領の政権を終わらせてロシアにとって都合がいい傀儡政権を樹立したいという思惑があるようです。
こうしたロシア側の言い分を聞いて1932年に日本が行った満州国建国を想起する人も多いと思います。満州事変を起こし、傀儡政権として満州国を建国させ、住民保護の名目で日本軍を送り中国を侵略していきました。まさか90年前と同じような他国への侵略行為が現代において堂々と行われるとは思ってもいませんでしたが、残念ながら不幸な歴史はこうして繰り返されるようです。
プーチン大統領は、ウクライナが西側諸国の軍事同盟であるNATOに参加することはロシアの国防上極めて重大な軍事的脅威となるから、それを阻止するための自衛の行動だと主張しています。あくまでも自衛の名目での軍事侵攻なのです。ヒトラーによる戦争も、米国によるベトナム戦争もアフガニスタン攻撃も自衛の名目で行われましたが、あらゆる戦争は自衛の名目で正当化されて行われるという歴史的事実がまたひとつ追加されてしまいました。侵略戦争の放棄は国際社会の常識ですが、日本国憲法のように自衛の名においても他国への軍事侵攻を許さないとするのでなければ、戦争を望む為政者に対する歯止めにはならないことがよくわかります。
そして、日本で昨今議論されている敵基地攻撃能力の本質を現実のものとして理解することができます。これは単に敵のミサイル施設を発射前に攻撃する能力の保有ということではなく、いち早く敵国の空港などを攻撃して制空権を確保することが不可欠であり、そのために今回のロシアのような攻撃能力を日本が保有するということを意味するのです。日米軍事一体化の下での敵基地攻撃能力の強化とは、本格的な戦争のための能力を強化することに他なりません。日本でこれを進めるのであれば、憲法を改定して軍隊を持ち普通に戦争できるような国柄に変えることが必要です。憲法を変えずに敵基地攻撃能力を持って普通に戦争できる国になることは、立憲主義に明らかに違反します。
為政者は自分なりの正義に基づいて戦争を引き起こします。戦争は政治の延長だといって、政治的目的を達成するための手段として戦争を選択するのですが、いつも市民が血と涙の代償を払わされています。先月末の時点でロシアの攻撃は幼稚園や民間施設、アパートにも及び、ウクライナ保健省によるとロシアによる軍事侵攻で子ども14人を含む352人の民間人が死亡したそうです。敵基地攻撃能力論の背後にはこうした民間人の犠牲が不可避であることにもしっかりと想像力を働かせなければなりません。
さて、始まったばかりのこの戦争はいくつもの教訓を残してくれます。あえて第三者の観点から考えてみます。まず、強い軍隊を持っていないと、理不尽な侵略に対して抵抗できないから、独立国家である以上は軍事力を強化すべきだという教訓を得る人もいるでしょう。しかも米国やNATOなどと軍事同盟を結んでいないと軍事的支援を受けられず一緒に戦ってもらえないから、集団的自衛権行使を含めた軍事同盟は必要不可欠だという考えです。日本も尖閣諸島の問題などで中国から侵攻されたときには、日米安保条約があるのだから米国が守ってくれるはずだ、そのためには日米の軍事一体化をさらに進めて緊密な関係を構築しておかなければならないという教訓です。
ただ、この教訓において気をつけなければならないことが1つあります。NATOに加盟すれば米国はウクライナの為に戦う義務が生じますが、日本が戦闘に巻き込まれたときに、米軍が参加するかどうかは、米国憲法に従うということです(日米安保条約第5条「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」)。つまり、米国において議会の承認が必要なのであり、自動的に米国が自国の利益に反してまで日本を助けるために参戦してくれるわけではありません。そのことは自覚しておかないと日本はあまりにも国際社会の冷徹さを知らないナイーブな国とみなされてしまいます。
一方でまったく逆の教訓も残します。NATOという軍事同盟に入ろうとしたから攻撃を受けたのであり、軍事的な中立を保っていれば、ロシアに攻撃する口実を与えることもなかったはずだというものです。そして軍事力によっては結局、攻撃を抑止することはできず、核兵器を使うことを示唆するような国に対して、こちらも核兵器を使って核戦争も辞さない覚悟がないとやはり抑止力は働かないという教訓です。日本が核兵器を保有しそれを行使する可能性を示して対抗することは現実的にも政治的にも不可能です。結局、強い軍隊を持っているからといって軍事侵攻を防ぐ手立てにはならず、むしろ非軍事中立の方が、国民の生命、身体、財産を守れるという教訓です。
さらにチェルノブイリ原発を制圧したとの報道、ロシアが核兵器を使うことを示唆している状況から、いかに核兵器が困難な状況を生み出しているかを露呈しました。ウクライナ国内の15基の原発も攻撃されたら一たまりもありません。ロシアにも核汚染の被害が拡散するので控えているのでしょうが、自国への被害が及ばないのであれば、原発も最大の攻撃目標になります。電源や冷却水の供給を絶てばいいだけですから攻撃も容易です。日本でも原発は地震や廃棄物処理問題だけでなく安全保障上重大な脅威になり得ることは従来からも指摘されていましたが、今回それが明らかになりました。エネルギー資源の確保が安全保障上重要な課題であると共に外国からの攻撃を恐れるのであれば原発など稼働させてはいけないという教訓です。
さて、3月1日現在、戦闘中止のための和平交渉を継続するとのことですが、当初ロシアはウクライナの非軍事化、中立化、ゼレンスキ―政権の即時退陣の3つを要求してきました。これでは全面降伏してロシアの属国になれというようなものですが、戦争を終結させるためには少なくともウクライナがNATOに加盟しないと宣言することは必要と思われます。そして一般論でいえば非軍事化と中立化は通常は両立しない無理な要求です。スイスのような武装中立ならわかりますが、いきなり日本国憲法9条の理想と同じ非軍事中立をウクライナが受け入れるとは考えられません。日本国憲法がめざす非軍事中立がいかに貴重であるか、そして多大な犠牲を払わなければ獲得できないものであるかがわかります。
法的思考力の1つに常に相手の立場に立って考えるというものがあります。あえて、ロシアの立場に立って考えてみます。ウクライナがNATOに加盟したらどうなるでしょうか。国民安保法制懇でお世話になっている元外交官で外交問題専門家の孫崎亨氏の分析によると、以下のようなことが想定されます。
「NATO(実際は米軍)はウクライナに中距離・短距離、クルーズミサイルを配備する。ロシアは長距離弾道ミサイルへの防御網を構築してきたが、新たに中距離・短距離、クルーズミサイルからの防御システムを作らざるを得ず、それは技術的にほぼ不可能なうえ、実施するには莫大な金がかかる。プーチン大統領が「国家が存続できるか分からないほどのリスクが生じる恐れがあったからだ」と述べたのはこのことを意味している。」とのことです。
NATO条約第5条によって、NATO諸国は、メンバー国に攻撃があったら、「直ちに行動をとる」義務が生ずるため、ウクライナがNATOに加盟すれば米国にはウクライナを守る法的義務が生じます。これはロシアにとっては大変なことです。以上から、今後のことを考えるとウクライナのNATO加盟はロシアにとって絶対に阻止しなければならない至上命題なのです。
次に民族自決の観点からみるとどう見えるでしょうか。
ウクライナ語を母国語とする人々はクリミア自治共和国10.1%、ドネツク州24.1%、 ルガンスク州30.0%でした。他は基本的にロシア語を母国語とする人々です。ウクライナ政府はこうしたロシア語を母国語とする人々と共存するために、ウクライナ語とロシア語の両方を公用語にすればよかったのですが、残念ながらそのような政策をとってきませんでした。むしろ、ロシア語を母国語とする人々を公的機関から排除したことなどから、ロシア語を母国語とするロシア系住民は二等国民として扱われたとの印象を持ち、独立をめざしました。これに対してウクライナ政府が軍事力で制圧し、ロシア系住民がロシアの助けを求めたので、ロシアが救済の手をさしのべたという物語が見えてきます。もちろんだからといって軍事的手段を行使してよい理由にはなりません。ですが、常に双方の立場から物事を見てみるという冷静さは必要なことです。
そして戦争反対という意思表示も、プーチン叩き、ロシア叩きになってしまっては本末転倒です。善悪二分論によって相手を悪者と決めつけて、叩き潰して排除すればいいという考えは危険だと思っています。ロシアに対する攻撃を聖戦のように扱ってしまっては、かえって戦争を激化させるだけではないでしょうか。ウクライナへの武器の供与によって利益を得る軍需産業はほくそ笑むかもしれませんが、そうした軍事支援ではなく、NATOに属しない日本だからこそできる中立的な立場からの仲裁など憲法前文に規定する「国際社会において、名誉ある地位を占め」る方法が可能なはずです。たとえ理想にすぎる綺麗事と冷笑されようとそれが憲法のめざす国際貢献と考えます。
さて、ロシア国内でも5800人以上の市民が警察に拘束されながらも、反プーチン、反戦デモが40か所以上で行われています。全世界そして日本にもウクライナ市民に連帯して平和を求めるデモ行動に参加する人々がいます。そうした意思表示に対して「日本国内でウクライナの国旗を掲げて集まっても何の役にも立たない」などとして冷笑する声もあるようです。
しかし、世界各地でウクライナの市民を応援する姿がSNSやネットニュースなどを通じてウクライナ国民に届いているはずです。ロシア軍の攻撃を受けている市民にとって、孤立無援でないと知ることはどれだけ支えになることでしょうか。たとえ自己満足であったとしても、声を上げること自体には重要な意味があるのです。
また、ADRA Japanなどの組織への寄付を通じて、50万人を越えたといわれる避難民への食糧、衣料、衛生用品の提供に協力することもできます。心の中で戦争終結を強く願うだけでもかまわないと思っています。冷笑するだけで何もしない、もしくは何らかの行動をする人を批判するだけの人々よりもはるかに人間的です。
私は、何かが起ったときに何もしないで傍観するだけの人生はいやだと思ってきました。後にそれを恥だと感じたり後悔したりするような選択は自分の幸福追求に反すると考えているからです。だから負け戦であることがわかっている裁判でも全力で闘ってきました。誰かが問題提起をし続けないと違憲や違法な国家行為が既成事実として積み重なり、非立憲がまかり通る社会になってしまいます。
自分が毎日を平穏に暮らせることに改めて感謝しながら、この武力侵攻が一刻でも早く終わることを願い、気持ちだけでもウクライナの人々やロシアの心ある市民に寄り添っていきたいと強く思います。

伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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