真の法律家・行政官を育成する「伊藤塾」
 
2022.05.01

第322回 祝日

4月29日は昭和の日でした。戦前の天長節、戦後になって天皇誕生日、天皇の代替わりに伴ってみどりの日、そして現在の昭和の日と名称が変遷していますが、おかげで大型連休を取ることができて、特に社会人の司法試験受験生には試験直前の追い込みに大助かりの祝日となっています。

 

昭和は本当に激動の時代でした。大正デモクラシーによって芽生えた立憲民主主義が戦争へと進む中で押しつぶされて全体主義、軍国主義に国のかたちが変貌していきます。天皇の軍隊すなわち皇軍の行った数々の戦争犯罪についても責任を問われることなく、マッカーサーに救われた昭和天皇は、戦後の復興についての「連合国の好意と援助」への感謝の言葉を国会開会式での「お言葉」で述べ続けます。さらに米軍による沖縄の軍事占領の継続をマッカーサーに希望して戦後も沖縄を切り捨てることに加担しました。

 

昭和天皇自身が、退位もせずにこうして連続性をもってしまったのですから、憲法が変わっても戦前からの連続性を断ち切り新たな国として生まれ変わることは不可能だったのかもしれません。憲法自体も新憲法の制定ではなく大日本帝国憲法の改正手続きによって生まれましたし、冒頭に天皇の「朕」から始まる上諭がおかれていることからも戦前からのしがらみを断ち切る意思は政治家にもなかったのだと思います。ですから、新しい憲法もあえて明治天皇の誕生日(明治節)である11月3日に公布され、その6か月後の5月3日が憲法記念日となりました。

 

小室圭さんが2度目の米国ニューヨーク州司法試験に落ちたそうです。不合格が広く国民に知れ渡る受験生は他にいませんから、気の毒なことです。7月の3回目の試験はプレッシャーをはねのけてぜひ合格してほしいと願うばかりです。妻の眞子さんはメトロポリタン美術館で働いているそうで、こちらはこれまでのキャリアを活かせる仕事が見つかって喜ばしいことです。夫が司法試験受験生で試験に合格せず、妻が働いていることを訝しく思う人がいるかもしれませんが、このようなカップルは、少し前の司法試験の世界ではごくありふれたものでした。

 

そもそも、妻が働いて夫が家事をしたり、夫が定職につかずプラプラしていたとしても、それで二人が幸せならば全く問題ないことです。何が幸せかは自分たちで決めるのが幸福追求権の本質なのですから、周りがとやかくいうことではありません。カップルの姿も多様でいいのです。

 

男性が働いて女性が家庭と子どもを守るのが幸せな家族だという古典的な家族観は今の時代に合いませんし、ジェンダー平等の観点からもアウトであることは明らかです。皇室出身者にジェンダー的に問題が大きい職業分担を強いる発想の国民がいるとしたら、それは天皇制自体に性差別の元凶があるからにほかなりません。

 

日本国、日本国民統合の象徴というのであれば、象徴のかたちとして性差別が容認されている国では、当然国民レベルで平等が実現できるはずもありません。皇位継承において男系男子に拘るとしたら、国民レベルでもジェンダー平等に価値を見出すことなどできません。同様に天皇の代替わり儀式や葬儀などの宗教儀式に公金を支出して、政府要人らが列席することは、社会的儀礼などいう概念で正当化できるものではありません。明確な政教分離原則違反で憲法違反です。

 

地方自治体が行う地鎮祭に公金を支出したというレベルの問題ではなく、象徴としての天皇が政教分離違反の儀式を行うのですから、国民の間に政教分離の観念が浸透しないとしても無理はありません。憲法6、7条で規定されている国事行為とはいえない天皇の公的行為も前天皇の下でかなり広がりました。そろそろ天皇の行事もこの国の象徴に相応しいものに改善したらどうでしょう。

昭和初期に通説であった天皇機関説に基づく戦前の立憲主義が、神権天皇制、皇軍としての軍隊、宗教の三位一体によって破壊されていった過程から得られる教訓は貴重です。京都帝国大学の佐々木惣一博士が『立憲非立憲』の中で「違憲とは憲法に違反することをいうに過ぎないが、非立憲とは立憲主義の精神に違反することをいう。違憲はもとより非立憲であるが、然しながら、違憲ではなくとも非立憲であるという場合があり得るのである。さればいやしくも政治家たる者は違憲と非立憲との区別を心得て、その行動のただに違憲たらざるのみならず、非立憲ならざるようにせねばならぬ。」と指摘して立憲主義の精神がいかに政治家に必要なことかを訴えましたが、その甲斐もなく、国家総動員法(1938年)、大政翼賛会(1940年)と転がるように軍事国防国家に突き進み立憲主義が崩壊していきました。

 

ポツダム宣言を受諾して敗戦を迎えた日本が民主主義的傾向の復活強化に努めるべく制定した日本国憲法施行から今年で75年になります。戦前の元凶だった神権天皇制、軍隊、国家と宗教の一体化をそれぞれ廃止するべく、象徴天皇制、憲法9条、政教分離を規定した憲法ですが、本当の意味での戦前との断絶に真剣に取り組んでこなかったツケが今さらながらに回ってきているようです。

 

ただ、それでも75年間一度も、戦争をして他国の人を殺し、殺されることもなかったのは奇跡に近いことです。これだけの経済大国が武器の生産や輸出、軍事関連の研究開発に依存しないで発展を遂げてきたことは、先人たちの弛まぬ努力の賜物だと感慨深いものがあります。戦争ほど儲かるビジネスはないようですし、軽武装・経済重視の国策は成功したといえます。朝鮮戦争特需、ベトナム戦争など日本が戦争に加担した事実は否定できませんが、それでも自衛隊が他国で人を殺すこともなく、殺されることもなく75年過ごすことができたという事実は大きいと思います。

 

もちろん、その影には70年前の4月28日にサンフランシスコ平和条約とともに沖縄を捨て石として再び切り捨て、50年前の5月に発効した沖縄返還協定による本土復帰後も多大な基地負担を押しつけてきた理不尽な事実があります。日本の主権回復の日は沖縄にとっては屈辱の日に他なりません。この日に発効した旧安保条約、その後の新安保条約及び地位協定により本当の意味での独立主権国家とは到底いえないような現在の状況を生み出したのもこの日ですから、実は日本本土にとっても屈辱の日と認識すべき日です。

 

日本はこの日米安保条約によって守られてきたのであり、憲法9条など役立たずだったという人もいます。そうでしょうか。私は9条があったからこそ、他国、特に米国の戦争に参加せずにくることができたという事実は否定できないと考えています。仮に9条がなければ、当然のように朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争に日本も巻き込まれ、他国の民間人の命や生活を奪い、多くの日本の若者の血も流れたであろうことは容易に想像できることです。

 

また、普通の国であれば軍事費に回すであろう予算を産業発展や福祉に回すことができたために、昭和の経済発展と福祉の拡充が実現できたのだと思います。今後防衛費をGDP比2%に増額すると自民党内部では盛り上がっているそうですが、消費税率のさらなるアップや年金、生活保護、教育予算の削減などが必須となるでしょう。国債発行で賄うとすればそのツケは若者世代に重くのしかかってきます。

 

そもそも現在の教育予算はあまりにも小さすぎます。公立学校の教員には1971年制定の教職員給与特別措置法によって、休日や時間外勤務手当が支給されず、月8時間の残業代に相当する月給の4%の調整手当が支給されるだけです。月80時間以上の過労死ラインを超えるような超過勤務を無給で強いられ、事務手続きに追われ、保護者からの様々な要望に応じなければいけない毎日の中で、子ども一人ひとりに向き合う時間などとれるはずもありません。心身を病んでしまう教員が増えるのも無理もないことです。教員志望者も減少し続けています。

 

教育は国家百年の計であり、国づくりの基本です。そうした将来を見据えたソフトパワーへの投資を怠り、軍事費のようなハードパワーへの依存を強化するだけでは、国益という観点からみても適切ではないと思います。政治の本質は希少資源の分配にあり、その枠組みを憲法が規定しているのですから、もっと憲法に忠実に教育条件の整備や健康で文化的な生活を維持できるように予算を使うべきでしょう。

 

日米軍事一体化を進める元凶となった日米安保条約を最高裁で合憲と判断してしまった砂川事件と、最低限度の生活すらままならない朝日茂さんの人間としての尊厳を問うことになった朝日訴訟が共に1957年に提訴されているのは偶然ではありません。1954年創設の自衛隊を拡充し米軍との関係を強化する最中で、防衛予算を拡大するために社会保障費の抑制が図られ、生活保護が切り詰められていった昭和30年代の象徴のような2つの訴訟なのです。朝日訴訟では「バターか大砲か」が問われ人間裁判と称されました。

 

今、また生活保護の切り下げや年金減額など福祉削減が行われ、他方で防衛費の増額が叫ばれています。失われた30年と評されるように新たな産業基盤を創出することにも失敗した日本が軍事大国を目指すこと自体、分をわきまえていないというべきでしょう。政治家は分不相応な軍事予算を投入して軍事的拡大をしていく強い国であり続けたいと願うものなのでしょうか。ちょうどロシアがGDPでは韓国を下回りながら、偉大なロシアを夢見て軍事的拡大を目指そうとしている残念な姿と重なります。

 

大日本帝国の夢を見続けるのではなく、過去と決別してしっかりと未来を見据えた国のあり方を展望する日として憲法記念日を迎えたいと思います。




 

伊藤真塾長

伊藤 真

伊藤塾 塾長

司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
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