第325回 ポツダム宣言

日本は8月14日にポツダム宣言を受諾し、翌15日、天皇が国民に敗戦を告げて15年以上続いたアジア太平洋戦争が終わりました。9月2日の戦艦ミズーリ艦上での降伏文書の調印が正式な終戦ですから、アメリカでは1945年9月2日が第二次世界大戦の対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)となっています。
日本軍の無条件降伏を日本政府に迫ったのがポツダム宣言ですが、日本はこれを受け入れました。「無条件降伏」とは国家が軍事的抵抗を一切、条件なしに停止することを意味する戦争用語です。ポツダム宣言では13項で the unconditional surrender of all Japanese armed forces と書かれており、つまり「すべての日本軍の無条件降伏」をしたわけです。
しかし、これは何もかも戦勝国の言いなりになるという意味ではありません。戦後どのような国になるかは、日本が自らの意思で決定することです。そして、それが12項の中に次のように規定されています。
「日本国民ノ自由ニ表明セル意思ニ從ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ、連合国ノ占領軍ハ、直ニ日本国由リ撤収セラレルベシ」
ここには、天皇主権から国民主権への転換が示されています。このポツダム宣言の受諾によって国民主権体制に変革したと考える立場が、いわゆる「八月革命」説です。
革命とはずいぶんと物騒に感じるかもしれませんが、法秩序の連続性の破壊を法律学的意味での革命といいます。これを誰が行ったかその主体は問いません。ポツダム宣言受諾当時は天皇主権でしたから、天皇自身がポツダム宣言を受諾することによって、国家の法秩序の連続性を断ち切る法的な革命を行ったわけです。
ポツダム宣言は一種の休戦条約の意味を持ちますが、日本の意思によってこれを受け入れたのですから、民定憲法を制定する義務を国際法上負ったことになります。そして憲法改正案を審議するための議会で国民の代表によって審議され可決されたのですから、国民の自律的意思によって決定された憲法だということができます。
また、10項後段には
「日本国政府ハ、日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ。言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ、確立セラルヘシ」と規定されています。
戦前の日本にも立憲主義が存在しました。軍国主義によって掘り崩されてしまった大正デモクラシー時代の立憲主義を復活させ、さらに強化することが日本には求められ、それに応じたのです。日本は国家の意思として「基本的人権の尊重を確立する」近代立憲主義憲法へ憲法を改正すると宣言したのです。
当時は「押しつけ憲法」という言葉もなかったようです。1954年7月に開かれた自由党の憲法調査会において、終戦後、政府側で改憲案の作成を準備していた松本烝治が「押しつけられた」とかなり感情的に証言したことから、自民党政治家らによって、押しつけ憲法という言葉が広められました。松本烝治らが作った政府案は、天皇主権のままでしたし、帝国憲法のマイナーチェンジでしかなく、とてもポツダム宣言の趣旨に沿ったものとはいえませんでした。
この政府案を知ったマッカーサーが、このままでは他の連合国が納得しないと考え、GHQ民生局のメンバーに草案の起草を命じたのです。ここで短期間にまとめ上げられたマッカーサー草案を元に内閣が改憲案をつくり、日本の議会で審議し、修正した上で可決されて日本国憲法になりました。帝国憲法がよかったと思う人達はマッカーサーに押しつけられたと感じたのでしょう。
憲法9条の戦争放棄条項も押しつけだという人がいます。ですが、これは元々、外交官であり当時の総理大臣だった幣原喜重郎の発案によるものということが明らかになっています。これにマッカーサーが賛同し、GHQ草案に入れるように部下に指示をしました。当時まだまだ敗戦を受け入れられなかった元帝国軍人や政治家も多くいたため、幣原がマッカーサーの威信を利用して憲法の中に9条を入れ込ませたのです。マッカーサーからの押しつけという形をとることによって、「軍隊を持つ旧体制の方がよかった」と考える人たちを屈服させたといってもいいでしょう。官僚として裏方に徹した外交戦略家としての幣原の面目躍如です。
1946年4月に戦後初めての総選挙が実施され初めて30名を超える女性議員も誕生します。幣原首相は退陣して吉田内閣が誕生し、6月の帝国議会に憲法改正案が提出され、議会での審議と修正が進みます。衆議院に設置された帝国憲法改正案委員小委員会の芦田均委員長によるいわゆる芦田修正が行われました。何度か9条の文言が変更されるのですが、当初なかった2項冒頭の「前項の目的を達するため」が追加されます。これによって、将来、自衛軍を持つことは可能と解釈する余地が残ることになりました。
当時、自衛戦争も含めて一切の戦争を放棄するという思い切った憲法を制定できたのは、やはり当時の国民と政治家たちの戦争体験が大きかったように思います。どのような大義を掲げた戦争であっても、被害を最も受けるのは市民です。
「防空壕に退避せよ」というお上の言葉を鵜呑みにして防空壕で蒸し焼きになり、「最後まで火を消し止めよ」という防空法を守って逃げ遅れた市民が多くいました。沖縄戦での集団死強制だけでなく、満州からの引き上げの際の関東軍幹部もどれだけ利己的で無責任に市民を見捨ててきたか、様々な体験談によって明らかになっています。
幣原は空襲で焼け野原になった風景を列車の窓から眺めていた時に憲法9条の理念が浮かんだと回想しています。「私は図らずも内閣組織を命ぜられ、総理の職についたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかして、あの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく務めなくちゃいかんと、堅く決心したのであった。それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり、戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならんということは…信念からであった。」(回想録『外交五十年』)
幣原は首相を退陣した後、国務大臣として憲法制定議会において次の発言をしています。
「改正案の第9条は戦争の放棄を宣言し、わが国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的役割を占むることを示すものであります。今日の時勢に尚国際関係を律する一つの原則として、ある範囲の武力制裁を合理化、合法化せんとする如きは、過去における幾多の失敗を繰返す所以でありまして、最早わが国の学ぶべきところではありませぬ。文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでありましょう。私は斯様な信念をもってこの憲法改正案の起草の議に与ったのであります。」(貴族院本会議1946年8月27日)
核兵器を持ってしまった現在、戦争と文明は両立しないとして徹底した平和主義を主張しています。また、当時の吉田茂首相は次のように述べています。
「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定して居りませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛の名において戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります。…故に、我が国においてはいかなる名義をもってしても交戦権はまず第一自ら進んで放棄する。放棄することによって全世界の平和の確立の基礎を成す。全世界の平和愛好国の先頭に立って、世界の平和確立に貢献する決意をまずこの憲法において表明したいと思うのであります」(衆議院本会議1946年6月26日)
「戦争放棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることがたまたま戦争を誘発する所以であると思うのであります」(衆議院本会議1946年6月28日)
こうした平和主義の精神こそが憲法9条提案者の立法者意思であったといえ、これが日本の戦後の原点だったのです。ここから脱却しようとしてきたのが安倍政権でした。吉田茂首相は戦後、初めて国葬となります。現在、戦後2人目となる安倍元首相の国葬をめぐって大きな反対の声が上がっています。
この国葬の問題は、法的根拠があるか、違憲か合憲か、妥当か不当か(国葬に値する人物か)など様々な切り口があります。憲法的な観点からは、法律による行政、財政民主主義、思想良心の自由への影響などを考えなければなりません。
そもそも国葬とは、国家が喪主となって執り行う葬儀のことです。すべて費用は国家負担となり国家予算から支出されます。戦前は、明治天皇・大正天皇などの皇族、そして、大久保利通、岩倉具視、伊藤博文、山県有朋などの明治の元勲や東郷平八郎、山本五十六などの軍人が国葬されました。戦後は吉田茂だけです。
当初は個別の勅令によるものでしたが、1926年交付の国葬令によって法的根拠が与えられ「國家ニ偉功アル者」について国葬が行われました。国葬当日は国民は喪に服すことが規定されています。
この国葬令は、「命令の規定の効力等に関する法律」により、日本国憲法の施行に伴い、他の帝国憲法下の命令と共に1947年12月31日限りで失効しました。以後、国葬を行う明確な根拠法はありません。
「国が喪主となる葬儀」を行い得るか否かという問題について、岸田首相は、内閣府の所掌事務を規定する内閣府設置法第4条第3項第33号を根拠に「国の儀式」として閣議決定をすれば、「国葬儀」の実施が可能だとしています。
「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)」が内閣の所掌事務として規定されています。確かに毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式や3月11日の東日本大震災追悼式等は「国の主催で行われる儀式」ですが、これらについては格別の法律はなく、内閣の権限と判断で行われています。
今回の安倍元首相の国葬もこれと同列に扱うことができるかという問題があります。国民に喪に服することを強制する戦前のような国葬を行うことは法的根拠の有無に拘わらず思想信条の自由を侵害し憲法上許されないと思われます。
そのようなものでなくても、多数の国民が犠牲になった場合に国費で追悼する儀式と、特定の政治家への弔意を表すための儀式では意味が大きく異なります。「国が喪主となる葬儀」を国費で行うことは、特定の個人を特別扱いすることになりますから、憲法14条の平等原則との関係でも問題が生じます。果たして安倍元首相がそうした特別扱いに相応しいかどうかは、国会において民主的手続を経て、民意を統合した上で行うべきです。
また費用も予備費から現政権の独断で支出するべきではありません。今回の国葬儀は、安倍元首相が銃撃によって死亡したことから警備費用など相当な金額の支出になると思われますから、財政民主主義の観点からは、しっかりと補正予算を組んで国会の承認を得て行うべきです。吉田茂氏のときのような死後11日という切迫したスケジュールで行うのならともかく、9月末であれば充分に国会審議は可能なはずです。
また、運用においても、裁判所を始めとする国家機関に追悼・弔意を示す儀礼が徹底されることになります。式次第のあり方や学校、公務所への要請のあり方も問題になることでしょう。弔意の表明としての黙祷を子どもたちに強制することは明確に違憲となりますが、職務命令で公務員たる教師に黙祷を強制することはどうでしょうか。
卒業式における君が代の起立斉唱問題以上に、思想良心の自由の侵害の危険があります。起立斉唱行為について最高裁は「一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為」であり、「外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められること」は、「その者の思想及び良心の自由について間接的な制約となる」としています(最判 平23 ・5・30)。
黙祷の強制は、慣例上の儀礼的所作にすぎないとは到底いえませんし、教育上の行事にふさわしい秩序の確保や式典の円滑な進行を図るために必要なものとはいえません。つまり必要性、合理性は認められないと思われます。よって、仮に教師が黙祷しなかったとしても処分することは許されません。当然、信教の自由との観点からも、「社会的儀礼を尽くすもの」という理由で儀式への出席を強制したり、黙祷を強制することは許されません。
国民に黙祷を強制するようなことはないはずですが、社会の雰囲気として自粛ムード一杯にはなりそうです。国葬が行なわれる場合、NHKのラジオとテレビでは中継されるでしょうし、民放も中継特番を組みそうです。「黙祷!」という場面においては静かにすることが半ば強制されるでしょう。自衛隊や警察はもとより、裁判所や役場そして銀行や病院などの待合室でテレビを流していれば、そこでは事実上静粛にすることが強制されることになりそうです。
これらは個人の自由意思だと言われれば、明確に違憲ということは難しいかもしれませんが、こうした環境を国が作り出すこと自体果たして、国民主権の憲法の下で相応しいかが議論されるべきです。何の議論もなしに、内閣が閣議で決定して、国民の間に分断や違和感を生むようなことは避けるべきです。明確な憲法違反ではなくても、憲法の精神に反することは立憲主義を尊重する政治家がやるべきことではありません。
京都帝国大学教授だった佐々木惣一博士は、大正時代に出版された「立憲非立憲」の中で、「非立憲とは立憲主義の精神に違反することをいう。違憲はもとより非立憲であるが、然しながら、違憲ではなくとも非立憲であるという場合があり得るのである。さればいやしくも政治家たる者は違憲と非立憲との区別を心得て、その行動のただに違憲たらざるのみならず、非立憲ならざるようにせねばならぬ。」と述べています。
佐々木惣一博士は、八月革命説を批判し、憲法9条は自衛戦争を否定していないという限定放棄説(芦田修正説)を主張した憲法学者ですが、戦前は東京帝国大学の美濃部達吉博士と同じく天皇機関説を採る立憲主義者であり、1940年の大政翼賛会を違憲と指摘するなど反骨の学者でした。単に違憲でなければよいというわけではないことは今日にも通じる極めて重要な指摘だと思います。憲法上疑義のある事柄については、政府は慎重でなければなりません。その点から安倍元首相に対する評価を別にしても、国葬には反対です。
ポツダム宣言10条に規定されているように「宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立」されなければなりません。そのためには、「民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去」しなければならないのです。戦前に大日本帝国の下で、神権天皇と軍隊と宗教が一体となって戦争に突入していってしまった過去を反省して、日本国憲法を制定したのですから、国葬のこと、戦争のこと、そして靖國参拝問題や政治家と宗教の結び付きについて戦後の原点であるポツダム宣言に立ち戻って改めて考えてみる必要がある8月なのだと思います。

伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
人気の雑感記事
2025.03.04 | |
---|---|
2025.02.03 | |
2025.01.01 | |
2024.12.01 | |
2024.11.01 | |
2024.10.01 | |
2024.09.01 | |
2024.08.01 | |
2024.07.01 | |
2024.06.01 |